« 『ラテン・ミュージックという「力」』=図書館で借りた本その1 | Main | 7/7-14の日記 »

2010.06.27

6/22-26の日記

●6/22(火)
昼は南国酒家。夜は一蘭、こってりにしたところちょっとしんどい感じ。

●6/23(水)
昼はアユンテラスでえびの炒めなどの定食。
夜は栄養バランスの劣化を感じていたので豚冷しゃぶのサラダ風、イカ刺しなど。

●6/24(木)
昼は福田屋で野菜天セイロ大。やはり渋谷では突出して安定したそば。
夜は中目黒へ。商店街が一見カジュアルだが定食屋のたぐいがなく、えせカジュアルである感じがしてあまり好感を抱かず。
数少ない酒飲み空間でない感じの薬膳カレー屋「香食楽 (kakura カクラ) 」(TEL 03-3710-0299)で黒カレーとポーク、ご飯大で1500円。まずくはないがそんなに「体に効く」感じはせず割高。さらに接客を最小限にして厨房とくっちゃべりながら働く様子や電子レンジで温めているかのような音がだいぶいまひとつ。繰り返すがまずくはない。

中目黒「楽屋」で山下TOPO洋平氏率いるTIERRA CUATROのライブ。
出だしのピアノタッチが荒い、が一部後半からそれがリズムの引っ張りにつながる。誤解を恐れず攻めるピアノと組めているアンデス音楽出身者があまりいないことを考えると、このピアノ奏者(上野山英里氏)とのマッチングがいい感じ。
パーカッション(海沼正利氏)はフォームがキース・ムーンっぽい、パストラルではボンボ主軸など「気持ちよく」よりルーツと攻撃性があって好感。要所で引っ張っていた。
ギターはいけすかない感じ。エレアコの手数を(自作曲以外)惜しんで弾きながらハミングしてライブ感をみせる演奏スタイル、客にホスピタリティーを見せないのが音楽人としての誠実さと誤認している様子などが中央線沿線のバンドマン風を佃煮にした感じ。使えるベース奏者のほうがいいと思った。

山下氏のケーナについては、ホルヘ・クンボ曲の演奏では音色の張った明るさと操作性の配分に自分にとっての感情移入の限界を感じるが、オリジナル曲では向日性の魅力が特に「パストラル」で炸裂。さらに上野山氏の曲「風穴」では、半音まみれながら旋律として機能している音階展開が、力をうまくセーブしつつなおパワフルに暗い様子を出す結果につながっていて、このライブのてっぺんであった。

ご本人がおっしゃっている「ここまで南米フォルクローレのリズムを表現できて、なおかつ高密度の音楽を実現できるバンド」というのは、フォルクローレのリズムの表現という点でだいぶどうだろう、とは思うのだが、渡辺かずき氏と組んだセットよりはリズム活性があって攻めている姿勢に爽快感があるので、(このセットが練れたら出てきてしまうであろう)ジャズ風のノリを極限まで排除してがんがんやってほしいと思う。チャージとのCPの問題はあるが、お勧めします。
あとフォルクローレ成分をホルヘ・クンボで出すのではなく、もっと伝承曲なんかも多めに混ぜて幅を出すのはいかがでしょうか。

※あと(楽屋は基本的にはいい店だと思うのですが)、レストラン的ライブハウスに関して根本的な疑問をひとつ。音楽家サイドからみると3150円のチャージというのは当然要求すべき金額なのでしょうが、ミュージシャンとの接点がない一見もとい一聴の客として考えると3000円+1ドリンク以上、よほど締めていかないと5000円程度はおおむねどこのライブハウスでもかかるというのは、この経済状況において観客でいることにかなりのしんどさがあるように思われます。その割りにレストラン系ライブハウスでは、演奏中静かな時間帯に皿洗いの音が聞こえてくるなどの、あまり音楽を重視しているとは思われない現実もあるわけで。それでもこの手のライブハウスに行くのは、演奏者と知り合いになるなど、「文化的共犯者」になりにいく、というのもありますが、フォルクローレ的空間だと世界が狭すぎて文化行為として必要な批評すらしずらく(おまえらアマチュア演奏者がえらそうに言うな、とかサラリーマン風情にプロがやっている音楽活動の立派さがわかるわけないだろう、と有料の観客が恫喝・侮蔑されることすら容易に起こりうる空間)、店や演奏者への批判もしずらいという現実が、さらに「どうせ意見も許されない末端の一消費者扱いなら、金銭的にも精神的にもコストのかかるわりにメリットのない行為はやめておこう」という市場のシュリンクを招くという悪循環が成立している局面があるように思います。

一定以上取るかっちりした(それこそドアマンがいるような)ライブハウスがあって、そういうところに出るミュージシャンには一定の報酬がある。そうでなくて音楽的なフリーハンドさがあるカジュアルなライブハウスでは、せめてチャージ+2ドリンクで3000円ですむ範囲だと、迷っても「行く」というジャッジをしやすいし飲み会がわりに多くの人士を誘いやすい。そうして「~の演奏は一度は聴いてみよう」という会話が多くの状況で成立する。こういう状況になればもう少し量的拡大を当該音楽業界が図れるように思うのですが、難しいものなんでしょうね。以上可処分所得とのかねあいでこのスタイルのライブハウスではあまり「いい客」になれないし、演奏レベルおよびスタイル、志向のせいで「いい演奏者」にはさらになれないケーナ奏者のたわごとでした。

●6/26(土)
昼はカップ麺と豚冷しゃぶとご飯。
夕方から水道橋で7時間にわたって謀議。

|

« 『ラテン・ミュージックという「力」』=図書館で借りた本その1 | Main | 7/7-14の日記 »

Comments

LIVEの価格に関するご洞察、そのとおりだと思います。
仕事帰りにちょっと一杯飲む感覚で顔をだせる金額であるなら、あとは演奏の質の問題ですから、結局は奏者、聞き手、お店と、それぞれの質の向上につながるものであると考えます。
本当、政府が何と言おうと、実際の景気はとても悪いですもの。

Posted by: Caneton | 2010.06.27 02:40 PM

ライブハウスに関する考察は私も以前書きましたが、貴殿のご意見もごもっともであります。
さらに言えば、山下氏のあの編成でギターはいらないじゃないか、巧いベースをいれるべきでは、というご意見も完璧に同感ですね。あの編成自体がある意味「みんなでリズムを作らなければぶれる。」というスタンスを打ち出してしまっている気がするんです。リズムにおける同期性は別に「打ち続け」なくてもグルーブとしてたち現れると思うのですがね。
と売れないケーナ吹きのたわごとでした。
今度また飲みましょう、語りましょう。

Posted by: 岩川光 | 2010.06.28 02:19 PM

皆様、コメント有難うございます。叩かれることを覚悟で書いたので正直嬉しいです。

>Caneton様
いつも有難うございます。そうなんですよねえ、現在の経済および歴史展開は、景気回復による文化への投資の改善を期待させない状況になっているように思われます。関係者全員が茹で上がったカエルになる前に、なんとかしなくてはと思って駄文をものしました。今後とも宜しくお願い申し上げます。

>岩川様
コメントありがとうございます。貴殿の渾身のライブハウス論は拝読しておりますので、冷汗三斗ではありますが自分なりに慎重に書いてみました。同意くださり嬉しいです。なかなかライブにお伺いできておらず恐縮ですが、また話ができればと念じております。お互いそれぞれの立場でまずはこのくそ忌々しい梅雨を乗り越えながら頑張りましょう。宜しくお願い申し上げます。

Posted by: yoshio | 2010.06.28 11:26 PM

なお岩川氏のコメントで山下氏のグループに関するコメントがありましたが、岩川氏は当日会場ではお見かけしませんでしたので、また別の所での知見かあるいは別の媒体での知見ではなかろうか、とブログ管理者としてコメント申し上げます。

Posted by: Yoshio | 2010.07.15 11:04 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 6/22-26の日記:

« 『ラテン・ミュージックという「力」』=図書館で借りた本その1 | Main | 7/7-14の日記 »