『ラテン・ミュージックという「力」』=図書館で借りた本その1
標題の書籍を船橋市立西図書館(書籍廃棄に関する裁判で有名)から借りました。
音楽之友社、2003/4/30。著者は東琢磨(ひがし・たくま)。
気になったところだけ(内容は賛成、反対はさておき)メモして返却します。
簡単に手に入るなら購入しようかな、とは思っています。ただくどいようですが賛成・反対は各論であるものだと思います。議論の材料として、という点で気になった点が下です。
・「また、サルサ・ダンスの教室なども増加しているが、そうした『他の音楽』への入口が、家元制度的な利権構造へと回収される危険性が強くなってきている」、あと身体的アプローチは新しい理解の地平を開くが、訓育のシステムが身体搾取構造になっているのではないか(p39-40)←なおp270の注11にも言及あり
・マリエリートに関して「日本では、この出来事を『犯罪者などをアメリカに送り込むキューバ/カストロの戦略』としておもしろがるような向きもあるのだが…軽々しくそのような『評価』を述べるべきではない」(p117)
・「メンディエッタの死とアンドレの公判を伝える、ニューヨークの街に貼られたポスターをギャスパー・ノエが撮影した写真も残っている」(p200)←これはギャスパー・ノエ(友人の友人だが自分の友人ではない)に反応しました
・「ラメント・ボリンカーノ」の解説。「プエルトリコが生んだラテンアメリカ最大の作曲家ラファエル・エルナンデスの曲で1930年に初録音された」(p221)。←この曲もそうだが、この手のラテン世界名曲をかたっぱしからケーナで演奏して商業化していたライカスのアイドル風のアナーキーな感じは再評価くるのでは?
・「有名なジャズ・ミュージシャンの壮絶な最期」について。圧倒的な音で鳴らすゴスペルを思わせるフレージングからファンク、フリーを幅広いレンジでこなすが、白人コンプレックスに苦しみドラッグにおぼれ、バークレーなどを出たスクエアな黒人ミュージシャンに追い詰められ晩年はヒップホップばかり聞いていた(p253)
・「砂漠のうえで―ペルー自治都市の闘いから」(p241-252)、特にp251のチチャやテクノクンビアへの言及
・「黒いペルー」(p251-270)、引用文献の中には笹久保伸氏のライブで踊り手も務める佐々木直美氏の原稿も
・「ウカマウ集団の軌跡と現在―ホルヘ・サンヒネス監督に聞く」(p272-286)、特に映画『鳥の歌』の内容は表現を行っているウカマウ集団の自己批判が籠められているとのくだり。←この「自己批判」こそ、表現者として立つべきスタンスではとのYOSHIO愚考。
なお同記事中には1993年のボリビア音楽著作権協会の発足についての言及あり、スルマ・ユガール、ルイス・リコ(炭鉱出身とのこと)、プロジェクシオンに言及あり。(p276)←これを木下尊惇氏がラティーナで記事にしているのを読んだ記憶あり。その際スルマに仲間扱いされて喜んだ旨の記述が記憶にある。
・ルイス・ブニュエル映画に関する記述で1946年アルゼンチンのヒット曲「アディオス・パンパ・ミーア」をメキシコのマッチョ歌手ホルヘ・ネグレテが歌う、またラファエル・エルナンデスの「エル・クンバンチェロ」も織り込まれているとの言及あり(p294)←両方宝塚のラテン風ショー場面では頻出(特に後者)。宝塚が現在なお(大分失われているとはいえ)ラテン風味のセンスを保持したコンテンツを持っていることに着目すべし。少なくともYOSHIOはそのようなセンスに知らず知らず接し続けてこれたことにケーナ奏者として感謝するしかない。
以上です。ではこれから返しに行った後業界を考える反省会に行ってきます。
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