「広報かわまた」2011年9月号に写真が載りました
皆様こんばんは。
さて標記の件ですが、「広報かわまた」2011年9月号の11ページでのコスキン・エン・ハポン告知記事で、ページの半分以上という未曾有の大きさで写真が載りましたので報告申し上げます。
「広報かわまた」に写真説明でTAKUYA&YOSHIOの記述つきで紹介されたのは平成18年11月号以来およそ5年ぶりでございますが、その際はコスキン報告でした。
今回は、通常南米的な衣装を来ている方の写真が通常選ばれるところ、「魂の音楽祭」というコスキンご紹介のキャッチにふさわしい題材としてたまたま我々の写真が広報の方の目を引いたのではないかと思われます。
もちろんその背景として、我々の演奏が「南米の音楽祭」というよりも「魂の音楽祭」という方向に合致するものであったということはあろうかと(おこがましいですが)推量しております。
「毎回熱いステージを繰り広げる“takuya & yoshio” そして今年も。」という写真説明もあいまって、光栄というか恐れ多いというか何が起こったのかというか、と末端のどじょう系一ケーナ奏者として強く思いますが、まず申し上げるべきは、お世話になっている川俣の、そして東北の皆様、さらに全国の皆様、もっといえば我々を否定という形でも認識してくださっている皆様への感謝でしょう。本当に有難うございます。
純粋に南米音楽を演奏する、というイベント趣旨から見ると必ずしもストライクでない、むしろガーターな、せいぜいスペアを取った次にガーターを出してしまう感じのパフォーマンスを展開している自分たちが川俣の広報誌に、ある意味自分たちのやりくちをご海容いただく形で取り上げていただけるなど想像もしていない事態でございました。(私の出身・現住所は千葉県船橋市です。公民館コンサートを17年間させていただいたりという恩はもちろんありますが、広報に写真が載ったことは残念ながらたぶんないです。ましてこの大きさはありえないです)
…ここまでTAKUYA&YOSHIOは、コスキン、そして川俣に対しての気持ちを持ちながら活動をしてきましたが、必ずしもたとえば運営側と100%意見や利害が一致する関係だったとはいえない点もあったと思います。
そして、どんなにたとえばラパスを愛していたとしても冷静に見れば日本人演奏者のほとんどにとってラパスは厳密な意味でのふるさとたりえないように、私たちにとって川俣は出身地などの「ふるさと」ではありません。それは現時点においても事実です。
しかしだからこそ、町関係者でもない一介の参加者であり続けた自分たちにこのような名誉を与えてくださった川俣の皆様への恩義を、ただ年に一度演奏しに来る+α程度の存在である我々はどう果たすべきか…非力ではありますが、自分自身の魂にうそをつかない演奏を今年もするしかない、ということだと認識し、準備し、奮闘したいと思います。
川俣の皆様、コスキンに参加する皆様、参加されない皆様、今年も月並みですが熱く行きますので宜しくお願い申し上げます。
また末尾ではございますが、コスキンエンハポン開催事務局の皆様に、今一度御礼申し上げます。今後とも宜しくお願い申し上げます。
2011/9/2 TAKUYA&YOSHIO YOSHIO 拝
追伸1:広報かわまたはかなり読み応えのある広報誌です。9月号も放射線量調査マップなどもの凄い情報量です。HPでも読めます。(川俣の方、もしよろしければYOSHIOに現物をコスキンのときで結構ですので1部でもくださると幸いです)
追伸2:現在Evelin Escobarというボリビア・サンタクルスの女性歌手のCDを聞きながら書いてます。(LAURO LCD 0037) ちょっと一本調子ですが低めで凛とした歌声が推奨です。東京コチャバンバの店頭にまだあったような。
Comments
オオよ! 神様はいつだって見ていてくだるんだ。
YOSHIOさんよ、あんた、頑張ってきな。
神様も川俣町の方々も、あんたの想いをしっかりと受け止めてくれているんだよ。
Posted by: Caneton | 2011.09.03 09:34 PM