2つのお別れ+120303-4の日記(TresPicarosライブなど)
◆自分の学生時代ゼミにて指導くださいました河原宏先生が2/28にお亡くなりになりました。訃報はこちら。
先生および先生に教わった多くの俊英などからみて、自分などは弟子ともいえないような不肖な存在でしかないですが、非常に尊敬していました。
先生の書籍を全部も読めてないタコですが、『昭和政治思想研究』『日本に活力は蘇るか』など、もっとアクチュアルに読まれてしかるべき著作が多くあることは言明いたします。
先生からは、どんな状況にあっても情理を共に尽くすことの重要性、「共悲、共苦」を主体的に行うことの重要性、現代の事象をかんがみる際に歴史から目を背けてはいけないことの重要性だけは学ばせていただきました。
「現代はある点をピークにして歴史上の成果を後戻りしていて、すぐに19世紀ぐらいの状況になる危険性を秘めている」という独自の警告を、比較的近い時期に家にお伺いした際にもお伺いできました。また政治勢力による脅迫から学問を守る手法として、歴史を研究し現代への視野をもつ手法にいたった経緯などもお伺いできたことを思い出しております。
自分などがいうべきでない話ですが、先生のご冥福を祈るとともに、不肖の末端弟子でも、情理をよりストロングに尽くしていくことだけは誓っておきたいと思います。
※なお付言で恐縮なのですが、自分の高松の知人であった薬師初夫さんという方も2010年12月年末に亡くなっています。この方は印刷会社などの勤務のかたわら、および退職後は本格的に、明治~戦後一定時期の天皇家に関する情報をPCに整理してその矛盾点を掘り起こすという研究を継続されていました。身内の方がいらっしゃらなかったのでその研究成果がどうなったか現在なお不明ですが、自分にとって恩ある方がなくなっていく状況であることは日々かみ締める必要があると思っています。今まで個人情報ということで書くことをためらっておりましたが、改めてご冥福をお祈り申し上げます。つまらない話ですが京都のご出身で(後年高松にお母様と帰った)、著名な讃岐うどんを「こしが強くて下品」と一蹴されて、そば屋などで食事をさせていただいたことも思い出されます。
◆TAKUYA&YOSHIOライブ、ラテン新年会ライブなどで多くお世話になりました神田のライブハウス・DECISIONが3月で転居のためいったんクローズとのことで、サヨナラパーティーに出席いたしました。
サヨナラパーティーではホセ犬伏氏と「SURIQUI」「カルナバルのメドレー」、さらにアンサンブル・クルーゼのうち2人を加えて「コーヒー・ルンバ」を演奏いたしました。
その後、中島泰子さんがアカペラで歌われる「You Are So Beautiful」(最近ではZucceroなどの歌唱が有名)の間奏と一部かけあい、「Route 66」の伴奏的演奏をご厚意でさせていただきました。 ジャンル違いでしたが「楽しかった」とのお言葉をいただき、本当にありがとうございます。
さらにベリーダンスをはじめとされる多彩なダンスをされるPadma(大野由美子)様のパフォーマンスの一部に乱入し、妖艶なベリーダンスの脇でケーナをアクティブに吹くという状況を現出させてしまいました。店主のHIRO様の慫慂によるものですが、謹んでPadma様にお詫びと感謝を申し上げます。
最後にオーナーHIRO様とDecisionが誇るロックバンド・サルーキ=の皆様、さらにハワイご出身で福島いわきで復興にも携わっているロイ様とで演奏された「LET IT BE」にも混ぜていただきました。
…私のような不器用でサポートアクト能力に欠けるはぐれケーナ奏者に(5月のイベントで共演させていただけるTOMOYA~♪様もそうですが)、かくのごとくクロスオーバーにチャレンジする機会を与えてくださった(そもそもこちらへのデビューは、Encuentrosの清水様の誘いによるロックイベントへの出演でした)Decisionには、YOSHIOが曲がりなりにも演奏をし続ける覚悟をくださったという恩義しかなく、恩をまったく返せていないという心境しかございません。
また震災の翌日3/12に、HIRO様のご賛同をいただいて、大石善也様とツーマンライブを強行させていただいたことは、「やって後悔しても、1ミリでも何かの役にたつならとにかくやる」という姿勢を植えつけてくださった日として一生忘れられません。(大石様にもものすごく恩義がございます)
自分のような者がなにを出来るか不明ですが、恩は二倍にして返すをモットーにしておりますYOSHIOといたしましては、なんとかDecisionがまた再開する状況が来てお手伝いができればと念じております。
オーナーだったHIRO様ご夫妻や関わってくださった皆様への感謝と、これからも変わらぬご厚誼をいただければと強く念じております。
なおDecision自体は3/5のサルーキ=カフェ(19時ごろから22時まで)、3/15のKAZZMA氏ライブ(19:30スタート)までございますので、ぜひ皆様のお越しを強く祈念申し上げます。自分もなるべく顔を出す予定です。
●3/3(土)
昼事情があって後楽園周辺で立ち尽くす業務に従事。晴れていて助かる。
終了後「浅野屋」まで歩き天もり大。
いったん帰宅後着替えて淡路町へ向かい「二代目つじ田 味噌の章」で味噌ラーメン。味噌の旨みとは少々違うような気もするが、チャーシューや麺の旨さと汁のバランスがよく再訪に耐える水準。
ルノワールでホセ氏と合流してディープに打ち合わせ。自分は上下柿色で打ち合わせしているので、はたから見たらきっと売れない芸人のネタあわせ。
その後Decisionでサヨナラパーティー。非常に残念ではあるが、自分が残念がる資格もないので明るく振舞う。
地下鉄で帰ろうとするが西船橋行きが終わっているので総武線に切り替えて帰宅。
●3/4(日)
目黒の目黒雅叙園に行くがひな祭りとかで激込み。ラウンジに入るのに20分程度並ぶが、ラウンジは結構広々としていて、昭和な感じの手抜きなしなメニューがルノワールなどと同系の反時代な感じ。
ハンバーガーを食べようとするが「15分前に売り切れた」とのことなのでアフタヌーンティーセット。ケーキが意外にボリュームあり。
ちょっと寒々とした滝を眺めながら知人と話す。
目黒から五反田にまわりTRES PICAROSのコンサートへ。USTライブなどにも積極的なmasahikoさんの主催チーム。
個人的には速めのリズムの曲「コイユルリティ」、コンドルは飛んで行くの次の曲などに魅力を感じました。あと「麻梨奈」という曲はえらく久しぶりに聴きました。
進行が、きっちりとした発声の女性が「温かい気分になりますね」とか1曲ごとに入ってくるスタイルで、個人的には離れて久しい形態でしたので懐かしさを覚えました。ただその懐かしさは「ねこの森には帰れない」と同種のものであることは付言しておきます。
masahiko氏のフィジカルなコンディショニングなどは、多くの演奏者が範とすべき水準でしょう。自分も減量しなくては、などとちょっと思いました。あとYoshioにもからみつつこのようなかっちりしたステージングで、特にサンポーニャでの貢献度が高かった鈴木龍氏はすごいな、と再認識しました。
ゲストの方々などいろいろな音楽性の方がいたので、フリーセッション的な時間帯があったら音楽的になお面白かったかな、などとないものねだりを申し上げます。
…以上、非常に恐縮ですがご招待をいただいた者としてまず御礼申し上げます。すべてオリジナル曲を揃えてくるなど、独自の勢力として活動を継続されてきたmasahiko氏への敬意は払われてしかるべきかと思います。今後もご活躍を祈念申し上げております。互いに自分の道を進みましょう。
終了後N氏と五反田の微妙な雰囲気の海鮮系居酒屋で結構食べながら濃い目のトークを。ネットでの言論状況から見てとある音楽業界のネット情報スケールなどミニマムにもほどがあり、コップの中の視野でいろいろと思考するヒマがあるのかどうかなどの討議を行う。
帰宅後FIDEL TORRICOのCDを聞く。普段あまりそういうことを考えないが、ピアノによる曲の区別がつけずらいほどのクエカまみれを浴びながら、スクレに行けるもんなら行ってみたいなと一瞬思う。
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