13/2/16の報告(+コスキン派遣日程報告)
●2/16(土)
朝整体。右人差し指のしびれが1月ほど治らないので首を調整してもらう。
13時前に家を出て福島へ、リッチモンドホテルにチェックインしてから「うまか亭」で寿司を食べる。
その後バスに乗り川俣へ、降りて「竹屋」でチーズさぶれ購入。今回は4パック。
その後近くの料理店で急遽開いてくださった報告会。ぶっちゃけた報告も踏まえて3時間ほど話をさせていただく。そのときのレジュメの一部として、派遣日程報告を貼り付けます。
・1/19
夕方船橋市内で練習後、夜成田からカタール航空ドーハ行きで出発
・1/20
ドーハにてカタール航空ブエノスアイレス行きに乗り換え、夜22:00過ぎ到着、エセイサ空港から現地手配でのレミースでブエノスアイレス市内プエルト・マデーロ地区のヒルトンに宿泊
・1/21
ヒルトンからホテル手配での送迎サービスでホルヘ・ニューベリー空港へ、アルゼンチン航空コルドバ行きに搭乗。
午後到着し、コスキン事務局の担当者(マルセロ氏)と水溜夫妻の出迎えを受ける。水溜夫妻はTAKUYA&YOSHIOの荷物を持って自家用車で移動。TAKUYA&YOSHIOはマルセロ氏とコスキン市内から来たタクシーに搭乗し移動、コスキン市内の「POSADA DEL PADRE PIO」まで移動。
宿に荷物を預けた後マルセロ氏は事務局へ戻る。水溜夫妻の車で水溜氏自宅へ。テレサ氏、および逗留中のT門氏にあいさつ。軽い昼食をいただく(パスタとご飯)。お香典をお預けし、位牌にごあいさつ申し上げる。
16:00過ぎに宿に車で連れて行っていただく。宿到着後市街の土地勘養成がてら外出。会場付近~駅まで歩く。CONTINENTAL HOTELのカフェでネットしながら休憩。各州のブースなどを見学。
20:00過ぎにまた水溜夫妻に車に乗せていただき、市北部の「RIO COSQUIN」というレストラン(現市長の親族がオーナー)で、事務局から水溜さんに支給された食券で全員食事。ここでお土産を渡す。
22:00ごろまで食事(ミラネサ定食)をしてから、会場で下していただき、水溜さん所有のチケットでTAKUYA&YOSHIOのみでコスキン鑑賞。
24:30に水溜夫妻が迎えに来てくださり、宿に送ってもらい宿着、就寝。
・1/22
朝8:30から食事後、歩いて8分程度のカフェ Confeteria Munichにてコーヒー、ジュースを飲みながらネットにて業務対応、情報収集など。
宿に戻り11:00に水溜夫妻が迎えに来て、今回司会担当のClaudio Juarez氏と会って市内を歩いた後(RUBEN PATAGONIAのギター奏者とあいさつ)、会場内を見せていただきながら司会の打ち合わせを1時間以上。エントリー書類の確認も。見学時に取材が1件、ほとんど司会者が対応。
13時ごろRIO COSQUINへ行き、TAKUYA&YOSHIOのみで食券にて昼食(鶏の半身焼き定食)。1時間後に迎えに来てくださり宿へ。
宿にて許可をもらって部屋にて練習、マネージャーから励ましの手紙をもらう。
16時にコスキン事務局(1階はペーニャ)に行き、市長代理、文化局トップ、事務局の方々、日本大使館一等書記官、コルドバ日本人会の有力者などが会して20分程度会議。スペイン語で行われ、主に文化交流について。
終了後サナトリウム跡(現在は宿泊施設)を見学し、他の関係者は墓参に行ったようであるが、我々は宿に戻される。
宿に17:00過ぎにつき、CONFETERIA MUNICHで業務をしながら演奏の打ち合わせ、商店街でサンダル(95ペソ=GINGA(ジンガ)というブラジル製)の購入をしてから宿に戻り仮眠。
20:00すぎに水溜夫妻が迎えに来て、自宅へ。パリ―ジャパーティー。日系人会関連の方々、日本大使館書記官、コルドバのJICAボランティアや交換留学生の方が来る。ただしTAKUYAがグロッキーで寸前まで仮眠をとる必要があったため、演奏などはなし、YOSHIOのみ列席。
22:30に会場へ。会場の楽屋では水溜夫妻の同行なし。楽屋にはEnrique Espinosaという男性歌手、その伴奏の若手(ギター3人)、マネージャーの女性と一緒。
23:15ごろ舞台の裏へ。ここでまた水溜夫妻に会うが、演奏終了まで会わず。まずPA設定担当者にメンバー構成説明、その後板につきマイクセット+音出しでのPAチェック。
23:55~24:10本番。終了後舞台裏でラジオの取材4、5局。YOSHIOとマルセロ氏で対応。
24:45ごろ会場を出て水溜家へ戻る。終了後パリージャパーティー出席の方々と懇談。
26:30ごろ宿に戻る。宿の番頭格の方から祝福を受けた後、宿の部屋に手紙が張ってあるのを発見。就寝。
・1/23
8:30に朝食、朝食時に宿泊の皆様に挨拶し祝福される。
朝食後Confeteria Munichへ。宿の近所の人に祝福される。カフェで業務および情報収集。
宿にいったん戻り、10:30に水溜夫妻に迎えに来ていただき、バスターミナルでチケットを買って乗るまで御同道くださる。ここで2枚500ペソにて出演DVD購入(1枚300ペソ)。
11:00にSarmientoバスにてコルドバへ。PATIO OLMOSというショッピングモールへ。JICAスタッフの方と待ち合わせ。中を見学中に3人ほどに祝福される。
待ち合わせの意思疎通が不完全で、水溜家からも電話を受け、電話をして13:00すぎに会う。
コルドバの市街を歩いて、レストランにて煮込み(ロクロはなかった)、ウミータなどの北部の食事を。途中で交換留学生の方と合流し、カテドラルを見学。15:20過ぎに別れる。
16:00近くになってUさんの知り合いのミュージシャンと会い、CDショップへ行った後ご自宅で30分ほど。2曲演奏する(La Boliviana、La Terecita)
当初バスで帰る予定で水溜家にもその旨報告していたが、コスキンの宿まで送ってくれる。19:00ごろ着。
20:30ごろ水溜夫妻が迎えに来てくださり、隣町のBiallet Masseのフェスティバルに出演。コスキンの外国の代表は出演することに2012年からなっているとのこと。本番では3曲+アンコール演奏。
終了後車で送っていただき、RIO COSQUINで食券にて4人で食事(鶏の半身焼きソースつき定食)。
25:00過ぎに会場へ連れて行ってくださり、TAKUYA&YOSHIOのみでいただいたチケットにてコスキン鑑賞。この日のメインのアベル・ピントスまで見て(TAKUYAは途中で帰る)、27:40ごろ宿着。会場ではお年寄りの方がちょっと冗漫なOJOS AZULESを聞いて「お前が演奏しろ」といったり、マルセロ氏に再会したりする。就寝。
・1/24
8:30に朝食後Confeteria Munichで業務および情報収集。新聞掲載された旨スタッフに言われ帰路キオスクで購入。
10:30までに荷造りし、チェックアウト。宿泊費関連はコスキン事務局扱いとのこと。
水溜家に行き、T門さんの提案でTAKUYA&YOSHIOが購入・進呈したPCのセットアップ。お昼を水溜氏宅でいただく(ミラネサ)。
13:00過ぎに水溜家を出てコルドバ空港へ。市事務局の送りはなし。
空港でアルゼンチン航空にチェックイン、超過料金450ペソ(2人分)取られる。空港ロビーで夫妻と話した後出発。なおロビーには植木さんと見送りの皆さんもいた(植木さん帰国)。
夕方ブエノスアイレス・ホルヘニューベリー空港へ着き、現地手配のレミースでヒルトンへ。
ヒルトン到着後20時ごろにプエルト・マデーロの「HAPPENING」というパリ―ジャ店にて大使館関係の方と食事(割り勘)。2時間程度食事する。
終了後歩いて宿に戻り、コスキン中継を見ながら就寝。
・1/25
朝食後チェックアウト、10:30すぎにホテルが捕まえてくれたタクシーにてアルゼンチン日本文化センターへ。11:15ごろ着。
そこの非常勤職員の方にアテンドいただき、まず文化センターの紹介、それから12:00からのコロン劇場見学ツアー(110ペソ、なおアルゼンチン国民は30ペソ)に参加。
その後ペソが尽きたので換金した後「IRIFUNE」という日本料理店で食事、1時間ほど食べる。フロリダ通りの土産店で職員の方と別れたのが14:40ごろ。
土産店からレティーロ駅近くまで歩き、さらに「BARBARO」というカフェで休憩。テラスの客に祝福される。
さらに歩いて宿へ戻り、ホテル手配の送迎サービスで18:00にホテルを出発、エセイサ空港へ。ホテルの運転手に祝福される。
空港で買い物などした後20:00前にチェックイン、23時過ぎのカタール航空でドーハへ。
・1/26~27
ドーハ着、乗り換えて1/27夕方成田着。
…話をずっとしていたので食事があまり食べられなかったのが残念。ただし町長もいらっしゃっただけでなく、行政サイドの方とも積極的に話ができた。なにより事務局の皆様に直接感謝を伝えられて本当に嬉しかった。
終了後福島在住の方に送っていただき、宿に戻った後「くさび」で変則とんこつ系ラーメン。ものすごくおいしいわけではないが、夜食べるには一定の水準でコスキン後に寄るのにも好適か。ここに行くまでに1回転倒する。結婚式流れの客が多かった。
部屋に戻って「くるり」の武道館ライブを見る。もっと速い曲が多かったころのほうが好きだな、と思いつつ、バンドとしてのブレなさ(リードギター除く男女問わずセクシーさの追放)は大したもんだな、とも思い眺める。
福島はこの日とても寒く(-3度以下)、路面が凍っていた。
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