2013/1/19-21途中の日記(コスキンへ~コスキンにて1)
●1/19(土)
朝一で整体。長旅なので腰をやられないように、との判断。
整体後「船福本店」でお土産用海苔を少々購入。
出発日だが某所へ。
吉祥寺方面へ向かいセンター試験の分析に11:30から従事。
ガチ冷や汗をかきながら13:20ごろに終了し、なだ万の二段弁当を5分でかきこみ退出。
船橋まで戻る。途中西船橋で駅ナカ立ち食い寿司を少々。ここの寿司はかなりCP的に高い水準出してきている。
荷物(79リットルのトランク×1、布鞄×1、機内持ち込み用のトートバッグ。なお預け入れ荷物数の制限のため楽器ケースは無理だったので、メインケーナはトートバッグに入れ、他の楽器はトランクに入れる)を確定。
すぐに出て西船橋スタジオSUNへ。
Takuyaとスタジオで合流し16:00過ぎから練習、17:00から公開練習ということにしたところ日本代表の大先輩としてかねてからお世話になっているR氏と、なぜか東北で会うことのほうが互いに関東在住なのに多いチャランゴ奏者D氏が来てくださる。
普通なら「これやります!」とプレゼン大会にすべきところ、「どれがいいでしょう?」と相談しながら演奏するという、お2人が不安に思うこと間違いなしの展開にしてしまう。
お2人と相談させていただいた結果、全員が納得する形で「DANZA DE MAIZ MADURO」「SOLO LE PIDO A DIOS」の2曲に決まる。
(なのでお2人の功績すごいです。篤く御礼申し上げます)
実はTAKUYA&YOSHIOとしてはコスキン後初の練習。
18:00にスタジオを出て、18:30ごろから京成で船橋から移動を開始するが国府台での人身事故であてにしていた列車が遅延、成田まで快速でたどりついてから交渉してスカイライナーに無料で乗り空港へ。20:00ごろ着。
カタール航空へのチェックインはオンラインチェックインをしていたためサクサク進み、終わったら20:20ごろ。
あわてて食事に行こうとするが成田の夜は異常に早く、案内所で開いてそうな店を聞いた後「京成遊膳」で食事。とんかつは揚げが素人感満載だったがまずくはなく、想定よりはるかにまとも。
22:30ごろ出発の予定が20分繰り上がったカタール航空QR805へ乗りこむ。777-200なので席に膝が当たるようなこともなくまあエコノミーとしては快適な部類。日本発は食事もよい。ブリティッシュ・エアウェイズに慣れているとCAの若さにびっくりするが、途中の消灯時間にギャレーにいったところ座りこんで菓子を食っていて「そちらもどうですか」という感じがアジア的で面白かった。
機内にどう見ても元JリーガーのT氏が監督として率いる少年選抜サッカーチームが乗り合わせ、そのうちの子どもの一人がCAに気に入られて話しかけられていたので通訳する。「試合いつ?ファンになるよ」とか言われていた。
横風が強く結構揺れる。
●1/20(日)
11時間ほど飛んでドーハ着。通訳の礼を少年に言われる。
ドーハは夜中だが空港の店は結構空いている。近代的だがボーディングブリッジがあまりない。
3時間以上乗り換えがあるので、相方のPRIORITY PASSとカードのコンボに相伴預かる形でORYX LOUNGEに乗りこむ。イスラム系の服装の女性がソファで仮眠する姿を生まれて初めて見る。
このラウンジでは簡単な食べ物(パンの類)、飲み物、WIFIがフリーなので飲み物を飲みながらネットにいそしむ。途中でシャワーも浴びる。(ただしタオルなどは自前)
ここで体力ポイントの回復が達成される。ラウンジを出るときは主に日本人で入口は大行列であった。
今度はサンパウロ経由ブエノスアイレス行きQR921に。7:45発。アフリカ大陸を飛び越える路線でとにかく長い。
ここで執筆に勤しみ、4時間ぐらいでなんとか完了。
その後は機内エンターテインメント(TEXT NEWSでアルジェリア事故の絶望的な状況を知ったり、TRAVELPORTというソフトで東京の食事でやたらちゃんこやどじょうをプッシュしているのを読んだり、「007」シリーズや「THE NETWORK」といった映画を見たり)と過ごすがとにかく遠く、動かず食事ばかりしているので腹具合を悪化させ正露丸糖衣を投入して難を逃れたりする。
あとレモンティーを飲み倒す。
機内食は日本発よりもエスニック風味が強くなり自分はOKだったが合わないケースがあるかも。
14時間以上程度乗ってやっとサンパウロへ。掃除の人が入ったりして1時間後に出発。「ありがと」と掃除のブラジル人に言われたので「オブリガードス」と返す。
さらに2時間余乗って、現地時間21時を過ぎてやっとブエノスアイレス・エセイサ空港着。到着後荷物(相方のギター含む)が無事出て(ただし表示の隣のレーンから出る。アルゼンチンではよく発生していた)、税関チェックの前にBANCO NACIONALがあったので手持ちの英ポンドと米ドルをペソに両替する。
税関は透視機械にかけたりして開けられる懸念があったが、深夜ということもあってかスルー。一人で持ち切れない荷物をもった女性が話しかけられる程度。(アルゼンチンでは係員によって対応が全然違うこともよくあった)
23時近くになってやっと税関通過。出てすぐのレミースカウンターTRANSFER EXPRESSでプエルト・マデーロのヒルトンまで申し込む。210ペソ(おおざっぱに1ペソ20円でカウントください)。
20分ほど待つが、ネクタイ白シャツ姿ではあるが刺青付き海兵隊的髪型の運転手が平均130キロで飛ばし(ただボカ地区のそばでは車にへんな若者が寄ってきた)、エセイサからホテルまで25分ぐらいで到着、ぎりぎりこの日中にチェックインする。
ブエノスアイレスのヒルトンは吹き抜けがパノプティコン的になっていて都会的で下品な豪壮さ。
たださすがヒルトンなので軟弱な日本人にとってもかなり快適。バスタブも当然あり。トイレタリーも世界共通。ただし思ったより英語がうまくなく、英語でしゃべるとスペイン語のときより3割以上サービスが殺風景になる。
到着して2時間ほどTV PUBLICAのコスキン中継を見て3時前に寝る。ルチアーノ・ペレイラLuciano Pereyraというスターの公演。
顔やスーツの着こなしはオードリーの若林っぽいが、ポップス調の曲からチャカレラに切り替えて観客を熱狂させる際に特に表出される雰囲気のコントロールの巧みさと張りまくりの声(抑揚という点では?もあるが、特に伝承性が高い旋律だとハイエナジーな中にも抑揚が自然についていい感じ)に威力を感じる。
このときはあまりに疲労していて「あのステージに俺が」みたいな自意識を表出させる余裕なし。
●1/21(月)その1
6:30ごろ携帯のアラームのミスセットで目が覚める。プエルト・マデーロはテムズ川東部的な再開発地域でかなり人工的な眺め(その分治安はいいらしい)。
スペイン語によるチーム紹介作成に着手する。
7:30から食事ということで食事に乗りこむ。ハムがかなりうまいが、パンは甘いもの多し、そして野菜があまりない感じ。マッシュルームやトマトの焼いたものを執拗に食べる。
8:00過ぎに、自分たちのチーム紹介をやけっぱちなスペイン語で仕上げたものを、ビジネススペースで出力する。
(この際USBメモリーを忘れたことに翌日コスキンのカフェで気づくが、電話したところ「部屋にはない」とのメールがスペイン語で来たため「ビジネススペースを探して」と英語でメールしたところ発見した旨スペイン語で報告あり、1/24チェックイン時に回収できた。ヒルトンはよいホテルだな、と思う)
9:25ごろ一応日本代表なのでスーツに着替えてからチェックアウトする。部屋代1314.35ペソ(朝食付きツインルーム)+ホルヘニューベリー空港までのホテル送迎サービス198.6ペソ。
ホテルの運転手はスティング系の髪型、日本人の担当をやることが多いらしく、迎えに行く商社マンのことを「知ってるか」と聞いてくる。英語可。
10:00過ぎにはホルヘ・ニューベリー空港に着くが、途中でバイク事故処理現場に出会う。明らかに遺体をゴムカバーで覆っていた。
道のそばには屋台がとても多く、特に「PARRILLA」の看板が多い。
空港そばのラプラタ河がとにかく泥色で海っぽくてびっくりする。
ホルヘ・ニューベリー空港はかなり古めの空港だが、想定よりは便利。チェックインも(ギターの特別扱いはないが)特別な問題はなし。
出発ゲート周辺はかなりきれい。このあたりで何度か携帯で水溜さんや寺門さんに連絡し、電話が通じる。
(携帯の感度は悪くないが頑張っても電話が通じないときもあるのでそんなときは固定電話からかけるか待つ。なお自分はドコモのローミング。ここまでの国はすべてパケホーダイなのでまあ安心)
11:20発のアルゼンチン航空AR2524、一応機内エンターテインメントもある(アンデスなどのドキュメント番組が面白い)。
ひたすら平原を飛ぶ。1時間少々飛んでがらんとしたコルドバ空港に着陸。
荷物が表示の隣のレーンから出てくる。真っ先に出てきたギターを相方が回収したところ「あの男ギター弾くんだ」「きっとGANADORだろう」という会話が聞こえてくる。
到着後水溜夫婦とコスキン実行事務局の担当者・マルセロ氏の出迎えを受ける。荷物を水溜夫婦にお預けして自分たちはマルセロ氏とタクシーに乗る。
途中で不完全な英語とスペイン語で会話、自作の自己紹介など見てもらう。コスキンへ行く途中ではリゾート地やダム湖などが観光名所となっている模様。
マルセロ氏は途中で上長と電話して「1人は少しだけスペイン語(Castillano)が出来る」と報告している。
1時間余でコスキン市到着、宿の「POSADA DE PADRE PIO」に荷物を置かせてもらってから水溜さんの家まで送っていただき、香典をお渡しし位牌に挨拶してから遅めの昼食(パスタとご飯など)をご馳走になる。
自分たちの案内をお渡ししてから、寺門さんのお話を拝聴するなどしてからいったん宿に戻る。
宿はWIFIがあるようだが教わったパスワードをいくら入れても反応せず、読み替えてトライしてもダメ。苦闘していたところ「我々は3日泊まっているがダメ」というアドバイスを同宿の方から受けたので、諦める。
マネージャー室の隣、中庭に面した(なので窓を開けても大丈夫ではあった)部屋の電灯付き扇風機を思い切り回したらゴンゴン言って落ちそうなので弱める。結論として「外に行くか」という話になる。
なお宿の方々は「何か不自由はないか」と非常に気を遣ってくださり、殺風景なペンションレベルの設備の割にパンテーンのシャンプーや石鹸、清潔なフェイスタオルとバスタオルをつけてくださり申し訳ない感じではあるので「不自由」とか口が裂けてもいえない感じになる。
同宿者にはミュージシャンはいないもよう、一定のレベルの観光の方中心(ただしダンス系の方はいたことが後で発覚)。
ここまでで時間は17:00、市内の地図を見ながら20:00までに宿に戻ることにして外出する。
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