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2013.02.22

TAKUYA&YOSHIOのコスキン演奏に関する文章を紹介します

皆様こんにちは。
北海道・道東のケーナ奏者・ContaさんがMIXIでこのような評をTAKUYA&YOSHIOにしてくださいました。
過分な評価ではございますが、とても嬉しい文章ですのでご本人の許可を得て転載いたします。

…以下引用です。

今月のある週末、嬉しい遠路の友人達と酒を酌み交わした折、TAKUYA&YOSHIOの快挙についてしばし語った。日本代表が、あれほど観客を熱狂させるとは前代未聞ではなかろか?

それは、彼らの長年の努力と卓越した表現力、何より炸裂するパッションによるものであるが、選曲の妙もあると思う。あれを選ぶアルゼンチン音楽に対する造詣と深い愛情に感服するのである。

 では、Solo le Pido a Dios (ただ神に願う)とは一体どんな曲だというのか? 覚書しておきましょう。

レオン・ヒエコが歌ったこの曲はアルゼンチンの人にとって格別な曲だろうと思う。彼は軍事独裁政権に迫害を受けてきたロックミュージシャンだ。

そもそも、この歌は70年代末チリとの国境紛争で開戦が危ぶまれた頃の作品で、反戦歌である。独裁の時代、検閲当局から厳重注意を受けたのは言うまでもなく、一時国外脱出している。
本来その役目を担っていたヌエバカンシオン達は、活動を厳しく制限されたり、命を守るため国外に逃れていた時代である。

小さな集会も開けない時代に、ロックはメッセージが無いということで、奇跡的に政権が許した集える娯楽となったのである。当然、ロックは若者の熱い支持を得ることになる。
(中略)なんたらかんたらで、80年代に入り、アルゼンチンの軍事独裁は終わろうとしていた。軍が切った最後のカードは、かのフォークランド諸島の軍事占拠である。これは国民のナショナリズムを大いに刺激し、独裁批判は霧消してイギリス憎しとなる。・・・なにやら昨今の日中韓が重なりますなぁ・・・。

今では考えられないが、この紛争で国威発揚の象徴となったのが、彼の曲「ただ神に願う」である。歌の内容とは反するが、「戦争に無関心な人にならないように」というコピーが軍に利用された。後に、彼は深い苦悩と共に数年の間活動休止する。(中略)そして、彼の復活を大きく後押ししたのは、ヌエバカンシオン達でありファンであったらしい。

かようにフォルクローレ(アルゼンチン音楽)は、時代に翻弄されながらも、常に大衆の暮らしと共にあったしこれからもあるのであろう。

僕にアルヘンティーノの心情は分からない。でも、そんな背景を知り、あれだけの熱狂を目の当たりにすると謙虚な気持ちになれる。
 分からないからと無関心な人にならないよう、ただ己が心に願う。

ただ神様に願う[Solo le Pido a Dios]

死が迎えに来た時に

十分なことを成し遂げずに連れて行かれないように

苦痛に無関心な人にならないように

ただ神様に願う

不公平に無関心な人にならないように

ただ神様に願う

戦争は巨大な怪物で、人々の良心を踏み潰すものだ

戦争に無関心な人にならないように

ただ神様に願う

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考文献など
懐かしき月間誌「中南米音楽」&現役「ラティーナ」
比嘉マルセーロ氏の講義「中南米の音楽Ⅱ―歌・踊り・祝宴を生きるひとびと」
ウイキペディアなどネット情報ミックス
 ※訂正事項があれば教えて下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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2013.02.17

【御礼】3/2御徒町WARRIOR CELTにてRADICAL ANDES CONNECTION ライブ!

皆様有難うございます。
標記の件ですが、およそ半年ぶりとなるRADICAL ANDES CONNECTIONライブ、いつもの御徒町WARRIOR CELTにて決行します。

今回は女性ボーカル増強、ベネズエラ曲投入など、かなりラテンに楽しくガチフォルク、ロックありというさらにおいしいGIGにいたしますのでぜひご参集いただけますと幸甚です。

打ち上げではコスキン報告トークも行う予定でおります!
復帰緒戦となりますので、ぜひ宜しくお願い申し上げます。

日時:3/2(土)21:00~、22:00~、23:00~(終了23:25予定)
場所:御徒町WARRIIOR CELT(御徒町から徒歩3分、上野から徒歩5分)
料金:チャージなし(本格ビールと料理をお楽しみください)
出演者(予定):ホセ犬伏、KATSUYO、鈴木龍、際田泰弘、YOSHIO

「WCFlyer130302.pdf」をダウンロード

【追加情報】以下は曲目予定リストです。変更はありえます。
●は初登場曲、※は歌曲です。
1st
DOS PALOMITAS
ワイニョメドレー
"カルナバルのメドレー"
LLORANDO SE FUE●※
コンドルは飛んで行く(3部構成)
"EL ENCUENTRO

2nd
"チャラグア
"スリキ
"LOVE IN VAIN
Caballo Viejo●
Cancion del Mariachi●※
花祭り※Am

3rd
"EL ANTIGAL
"QUENA SUBURBIA
ZUMBA QUE ZUMBA●
"MOLIENDO CAFÉ(Bm)※
"SAN BENITO※

…1stはわりとオーソドックス、2ndからはクアトロも入り、曲目もかなりトンがり度が増します。
フォルクローレをかっつり聞かれたい方はぜひ1stから、ご予定があるけど2次会がてらエッジの効いた夜を過ごしたい方はぜひ2nd以降をお楽しみください。

→今回も多くのお客様にご来場いただき、誠にありがとうございました。(お入りになれなかったお客様がいたことをお詫び申し上げます)
自分としては致命的な失敗などもありましたが、共演者の皆様のおかげで好評を得ることができました。(特にKATUYOさんのヴォーカルがかなり好評でした)

一同本当に深く感謝しております!
お店からも「回を追うごとに水準を上げている。次回もぜひ」といわれておりますので、日程を調整して、南米音楽業界でも有数のこの尖ったステージを楽しんでいただけるようにしたいと思います。
今後とも宜しくお願い申し上げます!
今回盛り上がりとしては、CANCION DEL MARIACHI~花祭りの流れはかなりキていました。

また終了後は、いろいろと話をしたり演奏をしたり、前回よりはおとなしかったもののやはり徹夜しました。ぜひ終了後でもいいので来られる方は遊びに来ていただけると嬉しいです。

最後に、会場で多くの方にアルゼンチンでの成功を祝福くださいました。深く御礼申し上げるとともに、今後の活動の支えといたします。

追伸=MCは次は原則英語のみで行くと思います。練習せねば。

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13/2/16の報告(+コスキン派遣日程報告)

●2/16(土)
朝整体。右人差し指のしびれが1月ほど治らないので首を調整してもらう。
13時前に家を出て福島へ、リッチモンドホテルにチェックインしてから「うまか亭」で寿司を食べる。
その後バスに乗り川俣へ、降りて「竹屋」でチーズさぶれ購入。今回は4パック。

その後近くの料理店で急遽開いてくださった報告会。ぶっちゃけた報告も踏まえて3時間ほど話をさせていただく。そのときのレジュメの一部として、派遣日程報告を貼り付けます。
 ・1/19
  夕方船橋市内で練習後、夜成田からカタール航空ドーハ行きで出発
 ・1/20
  ドーハにてカタール航空ブエノスアイレス行きに乗り換え、夜22:00過ぎ到着、エセイサ空港から現地手配でのレミースでブエノスアイレス市内プエルト・マデーロ地区のヒルトンに宿泊
 ・1/21
  ヒルトンからホテル手配での送迎サービスでホルヘ・ニューベリー空港へ、アルゼンチン航空コルドバ行きに搭乗。
  午後到着し、コスキン事務局の担当者(マルセロ氏)と水溜夫妻の出迎えを受ける。水溜夫妻はTAKUYA&YOSHIOの荷物を持って自家用車で移動。TAKUYA&YOSHIOはマルセロ氏とコスキン市内から来たタクシーに搭乗し移動、コスキン市内の「POSADA DEL PADRE PIO」まで移動。
  宿に荷物を預けた後マルセロ氏は事務局へ戻る。水溜夫妻の車で水溜氏自宅へ。テレサ氏、および逗留中のT門氏にあいさつ。軽い昼食をいただく(パスタとご飯)。お香典をお預けし、位牌にごあいさつ申し上げる。
  16:00過ぎに宿に車で連れて行っていただく。宿到着後市街の土地勘養成がてら外出。会場付近~駅まで歩く。CONTINENTAL HOTELのカフェでネットしながら休憩。各州のブースなどを見学。
  20:00過ぎにまた水溜夫妻に車に乗せていただき、市北部の「RIO COSQUIN」というレストラン(現市長の親族がオーナー)で、事務局から水溜さんに支給された食券で全員食事。ここでお土産を渡す。
  22:00ごろまで食事(ミラネサ定食)をしてから、会場で下していただき、水溜さん所有のチケットでTAKUYA&YOSHIOのみでコスキン鑑賞。
  24:30に水溜夫妻が迎えに来てくださり、宿に送ってもらい宿着、就寝。
 ・1/22
  朝8:30から食事後、歩いて8分程度のカフェ Confeteria Munichにてコーヒー、ジュースを飲みながらネットにて業務対応、情報収集など。
  宿に戻り11:00に水溜夫妻が迎えに来て、今回司会担当のClaudio Juarez氏と会って市内を歩いた後(RUBEN PATAGONIAのギター奏者とあいさつ)、会場内を見せていただきながら司会の打ち合わせを1時間以上。エントリー書類の確認も。見学時に取材が1件、ほとんど司会者が対応。
  13時ごろRIO COSQUINへ行き、TAKUYA&YOSHIOのみで食券にて昼食(鶏の半身焼き定食)。1時間後に迎えに来てくださり宿へ。
  宿にて許可をもらって部屋にて練習、マネージャーから励ましの手紙をもらう。
  16時にコスキン事務局(1階はペーニャ)に行き、市長代理、文化局トップ、事務局の方々、日本大使館一等書記官、コルドバ日本人会の有力者などが会して20分程度会議。スペイン語で行われ、主に文化交流について。
  終了後サナトリウム跡(現在は宿泊施設)を見学し、他の関係者は墓参に行ったようであるが、我々は宿に戻される。
  宿に17:00過ぎにつき、CONFETERIA MUNICHで業務をしながら演奏の打ち合わせ、商店街でサンダル(95ペソ=GINGA(ジンガ)というブラジル製)の購入をしてから宿に戻り仮眠。
  20:00すぎに水溜夫妻が迎えに来て、自宅へ。パリ―ジャパーティー。日系人会関連の方々、日本大使館書記官、コルドバのJICAボランティアや交換留学生の方が来る。ただしTAKUYAがグロッキーで寸前まで仮眠をとる必要があったため、演奏などはなし、YOSHIOのみ列席。
  22:30に会場へ。会場の楽屋では水溜夫妻の同行なし。楽屋にはEnrique Espinosaという男性歌手、その伴奏の若手(ギター3人)、マネージャーの女性と一緒。
  23:15ごろ舞台の裏へ。ここでまた水溜夫妻に会うが、演奏終了まで会わず。まずPA設定担当者にメンバー構成説明、その後板につきマイクセット+音出しでのPAチェック。
  23:55~24:10本番。終了後舞台裏でラジオの取材4、5局。YOSHIOとマルセロ氏で対応。
  24:45ごろ会場を出て水溜家へ戻る。終了後パリージャパーティー出席の方々と懇談。
  26:30ごろ宿に戻る。宿の番頭格の方から祝福を受けた後、宿の部屋に手紙が張ってあるのを発見。就寝。
 ・1/23
  8:30に朝食、朝食時に宿泊の皆様に挨拶し祝福される。
  朝食後Confeteria Munichへ。宿の近所の人に祝福される。カフェで業務および情報収集。
  宿にいったん戻り、10:30に水溜夫妻に迎えに来ていただき、バスターミナルでチケットを買って乗るまで御同道くださる。ここで2枚500ペソにて出演DVD購入(1枚300ペソ)。
  11:00にSarmientoバスにてコルドバへ。PATIO OLMOSというショッピングモールへ。JICAスタッフの方と待ち合わせ。中を見学中に3人ほどに祝福される。
  待ち合わせの意思疎通が不完全で、水溜家からも電話を受け、電話をして13:00すぎに会う。
  コルドバの市街を歩いて、レストランにて煮込み(ロクロはなかった)、ウミータなどの北部の食事を。途中で交換留学生の方と合流し、カテドラルを見学。15:20過ぎに別れる。
  16:00近くになってUさんの知り合いのミュージシャンと会い、CDショップへ行った後ご自宅で30分ほど。2曲演奏する(La Boliviana、La Terecita)
  当初バスで帰る予定で水溜家にもその旨報告していたが、コスキンの宿まで送ってくれる。19:00ごろ着。
  20:30ごろ水溜夫妻が迎えに来てくださり、隣町のBiallet Masseのフェスティバルに出演。コスキンの外国の代表は出演することに2012年からなっているとのこと。本番では3曲+アンコール演奏。
  終了後車で送っていただき、RIO COSQUINで食券にて4人で食事(鶏の半身焼きソースつき定食)。
  25:00過ぎに会場へ連れて行ってくださり、TAKUYA&YOSHIOのみでいただいたチケットにてコスキン鑑賞。この日のメインのアベル・ピントスまで見て(TAKUYAは途中で帰る)、27:40ごろ宿着。会場ではお年寄りの方がちょっと冗漫なOJOS AZULESを聞いて「お前が演奏しろ」といったり、マルセロ氏に再会したりする。就寝。
 ・1/24
  8:30に朝食後Confeteria Munichで業務および情報収集。新聞掲載された旨スタッフに言われ帰路キオスクで購入。
  10:30までに荷造りし、チェックアウト。宿泊費関連はコスキン事務局扱いとのこと。
  水溜家に行き、T門さんの提案でTAKUYA&YOSHIOが購入・進呈したPCのセットアップ。お昼を水溜氏宅でいただく(ミラネサ)。
  13:00過ぎに水溜家を出てコルドバ空港へ。市事務局の送りはなし。
  空港でアルゼンチン航空にチェックイン、超過料金450ペソ(2人分)取られる。空港ロビーで夫妻と話した後出発。なおロビーには植木さんと見送りの皆さんもいた(植木さん帰国)。
  夕方ブエノスアイレス・ホルヘニューベリー空港へ着き、現地手配のレミースでヒルトンへ。
  ヒルトン到着後20時ごろにプエルト・マデーロの「HAPPENING」というパリ―ジャ店にて大使館関係の方と食事(割り勘)。2時間程度食事する。
  終了後歩いて宿に戻り、コスキン中継を見ながら就寝。
 ・1/25
  朝食後チェックアウト、10:30すぎにホテルが捕まえてくれたタクシーにてアルゼンチン日本文化センターへ。11:15ごろ着。
  そこの非常勤職員の方にアテンドいただき、まず文化センターの紹介、それから12:00からのコロン劇場見学ツアー(110ペソ、なおアルゼンチン国民は30ペソ)に参加。
  その後ペソが尽きたので換金した後「IRIFUNE」という日本料理店で食事、1時間ほど食べる。フロリダ通りの土産店で職員の方と別れたのが14:40ごろ。
  土産店からレティーロ駅近くまで歩き、さらに「BARBARO」というカフェで休憩。テラスの客に祝福される。
  さらに歩いて宿へ戻り、ホテル手配の送迎サービスで18:00にホテルを出発、エセイサ空港へ。ホテルの運転手に祝福される。
  空港で買い物などした後20:00前にチェックイン、23時過ぎのカタール航空でドーハへ。
 ・1/26~27
  ドーハ着、乗り換えて1/27夕方成田着。

…話をずっとしていたので食事があまり食べられなかったのが残念。ただし町長もいらっしゃっただけでなく、行政サイドの方とも積極的に話ができた。なにより事務局の皆様に直接感謝を伝えられて本当に嬉しかった。

 終了後福島在住の方に送っていただき、宿に戻った後「くさび」で変則とんこつ系ラーメン。ものすごくおいしいわけではないが、夜食べるには一定の水準でコスキン後に寄るのにも好適か。ここに行くまでに1回転倒する。結婚式流れの客が多かった。

 部屋に戻って「くるり」の武道館ライブを見る。もっと速い曲が多かったころのほうが好きだな、と思いつつ、バンドとしてのブレなさ(リードギター除く男女問わずセクシーさの追放)は大したもんだな、とも思い眺める。

 福島はこの日とても寒く(-3度以下)、路面が凍っていた。

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2013.02.16

今福島です

これから川俣でコスキン派遣の報告をしてきます。今バスの中です。

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2013.02.09

2月10日公開練習します

皆様不義理しており申し訳ありません。
さて標記の件ですが、18時から19時まで公開個人練習を西船橋スタジオSUNのCスタジオで実施します。
お気軽に遊びに来てくださいませ

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2013.02.06

2013/1/19-21途中の日記(コスキンへ~コスキンにて1)

●1/19(土)
朝一で整体。長旅なので腰をやられないように、との判断。
整体後「船福本店」でお土産用海苔を少々購入。

出発日だが某所へ。
吉祥寺方面へ向かいセンター試験の分析に11:30から従事。
ガチ冷や汗をかきながら13:20ごろに終了し、なだ万の二段弁当を5分でかきこみ退出。
船橋まで戻る。途中西船橋で駅ナカ立ち食い寿司を少々。ここの寿司はかなりCP的に高い水準出してきている。

荷物(79リットルのトランク×1、布鞄×1、機内持ち込み用のトートバッグ。なお預け入れ荷物数の制限のため楽器ケースは無理だったので、メインケーナはトートバッグに入れ、他の楽器はトランクに入れる)を確定。
すぐに出て西船橋スタジオSUNへ。
Takuyaとスタジオで合流し16:00過ぎから練習、17:00から公開練習ということにしたところ日本代表の大先輩としてかねてからお世話になっているR氏と、なぜか東北で会うことのほうが互いに関東在住なのに多いチャランゴ奏者D氏が来てくださる。
普通なら「これやります!」とプレゼン大会にすべきところ、「どれがいいでしょう?」と相談しながら演奏するという、お2人が不安に思うこと間違いなしの展開にしてしまう。
お2人と相談させていただいた結果、全員が納得する形で「DANZA DE MAIZ MADURO」「SOLO LE PIDO A DIOS」の2曲に決まる。
(なのでお2人の功績すごいです。篤く御礼申し上げます)
実はTAKUYA&YOSHIOとしてはコスキン後初の練習。

18:00にスタジオを出て、18:30ごろから京成で船橋から移動を開始するが国府台での人身事故であてにしていた列車が遅延、成田まで快速でたどりついてから交渉してスカイライナーに無料で乗り空港へ。20:00ごろ着。
カタール航空へのチェックインはオンラインチェックインをしていたためサクサク進み、終わったら20:20ごろ。
あわてて食事に行こうとするが成田の夜は異常に早く、案内所で開いてそうな店を聞いた後「京成遊膳」で食事。とんかつは揚げが素人感満載だったがまずくはなく、想定よりはるかにまとも。

22:30ごろ出発の予定が20分繰り上がったカタール航空QR805へ乗りこむ。777-200なので席に膝が当たるようなこともなくまあエコノミーとしては快適な部類。日本発は食事もよい。ブリティッシュ・エアウェイズに慣れているとCAの若さにびっくりするが、途中の消灯時間にギャレーにいったところ座りこんで菓子を食っていて「そちらもどうですか」という感じがアジア的で面白かった。

機内にどう見ても元JリーガーのT氏が監督として率いる少年選抜サッカーチームが乗り合わせ、そのうちの子どもの一人がCAに気に入られて話しかけられていたので通訳する。「試合いつ?ファンになるよ」とか言われていた。

横風が強く結構揺れる。

●1/20(日)
11時間ほど飛んでドーハ着。通訳の礼を少年に言われる。

ドーハは夜中だが空港の店は結構空いている。近代的だがボーディングブリッジがあまりない。
3時間以上乗り換えがあるので、相方のPRIORITY PASSとカードのコンボに相伴預かる形でORYX LOUNGEに乗りこむ。イスラム系の服装の女性がソファで仮眠する姿を生まれて初めて見る。
このラウンジでは簡単な食べ物(パンの類)、飲み物、WIFIがフリーなので飲み物を飲みながらネットにいそしむ。途中でシャワーも浴びる。(ただしタオルなどは自前)
ここで体力ポイントの回復が達成される。ラウンジを出るときは主に日本人で入口は大行列であった。

今度はサンパウロ経由ブエノスアイレス行きQR921に。7:45発。アフリカ大陸を飛び越える路線でとにかく長い。
ここで執筆に勤しみ、4時間ぐらいでなんとか完了。
その後は機内エンターテインメント(TEXT NEWSでアルジェリア事故の絶望的な状況を知ったり、TRAVELPORTというソフトで東京の食事でやたらちゃんこやどじょうをプッシュしているのを読んだり、「007」シリーズや「THE NETWORK」といった映画を見たり)と過ごすがとにかく遠く、動かず食事ばかりしているので腹具合を悪化させ正露丸糖衣を投入して難を逃れたりする。
あとレモンティーを飲み倒す。
機内食は日本発よりもエスニック風味が強くなり自分はOKだったが合わないケースがあるかも。

14時間以上程度乗ってやっとサンパウロへ。掃除の人が入ったりして1時間後に出発。「ありがと」と掃除のブラジル人に言われたので「オブリガードス」と返す。
さらに2時間余乗って、現地時間21時を過ぎてやっとブエノスアイレス・エセイサ空港着。到着後荷物(相方のギター含む)が無事出て(ただし表示の隣のレーンから出る。アルゼンチンではよく発生していた)、税関チェックの前にBANCO NACIONALがあったので手持ちの英ポンドと米ドルをペソに両替する。
税関は透視機械にかけたりして開けられる懸念があったが、深夜ということもあってかスルー。一人で持ち切れない荷物をもった女性が話しかけられる程度。(アルゼンチンでは係員によって対応が全然違うこともよくあった)
23時近くになってやっと税関通過。出てすぐのレミースカウンターTRANSFER EXPRESSでプエルト・マデーロのヒルトンまで申し込む。210ペソ(おおざっぱに1ペソ20円でカウントください)。
20分ほど待つが、ネクタイ白シャツ姿ではあるが刺青付き海兵隊的髪型の運転手が平均130キロで飛ばし(ただボカ地区のそばでは車にへんな若者が寄ってきた)、エセイサからホテルまで25分ぐらいで到着、ぎりぎりこの日中にチェックインする。

ブエノスアイレスのヒルトンは吹き抜けがパノプティコン的になっていて都会的で下品な豪壮さ。
たださすがヒルトンなので軟弱な日本人にとってもかなり快適。バスタブも当然あり。トイレタリーも世界共通。ただし思ったより英語がうまくなく、英語でしゃべるとスペイン語のときより3割以上サービスが殺風景になる。

到着して2時間ほどTV PUBLICAのコスキン中継を見て3時前に寝る。ルチアーノ・ペレイラLuciano Pereyraというスターの公演。
顔やスーツの着こなしはオードリーの若林っぽいが、ポップス調の曲からチャカレラに切り替えて観客を熱狂させる際に特に表出される雰囲気のコントロールの巧みさと張りまくりの声(抑揚という点では?もあるが、特に伝承性が高い旋律だとハイエナジーな中にも抑揚が自然についていい感じ)に威力を感じる。

このときはあまりに疲労していて「あのステージに俺が」みたいな自意識を表出させる余裕なし。

●1/21(月)その1
6:30ごろ携帯のアラームのミスセットで目が覚める。プエルト・マデーロはテムズ川東部的な再開発地域でかなり人工的な眺め(その分治安はいいらしい)。
スペイン語によるチーム紹介作成に着手する。
7:30から食事ということで食事に乗りこむ。ハムがかなりうまいが、パンは甘いもの多し、そして野菜があまりない感じ。マッシュルームやトマトの焼いたものを執拗に食べる。
8:00過ぎに、自分たちのチーム紹介をやけっぱちなスペイン語で仕上げたものを、ビジネススペースで出力する。
(この際USBメモリーを忘れたことに翌日コスキンのカフェで気づくが、電話したところ「部屋にはない」とのメールがスペイン語で来たため「ビジネススペースを探して」と英語でメールしたところ発見した旨スペイン語で報告あり、1/24チェックイン時に回収できた。ヒルトンはよいホテルだな、と思う)

9:25ごろ一応日本代表なのでスーツに着替えてからチェックアウトする。部屋代1314.35ペソ(朝食付きツインルーム)+ホルヘニューベリー空港までのホテル送迎サービス198.6ペソ。
ホテルの運転手はスティング系の髪型、日本人の担当をやることが多いらしく、迎えに行く商社マンのことを「知ってるか」と聞いてくる。英語可。
10:00過ぎにはホルヘ・ニューベリー空港に着くが、途中でバイク事故処理現場に出会う。明らかに遺体をゴムカバーで覆っていた。
道のそばには屋台がとても多く、特に「PARRILLA」の看板が多い。
空港そばのラプラタ河がとにかく泥色で海っぽくてびっくりする。

ホルヘ・ニューベリー空港はかなり古めの空港だが、想定よりは便利。チェックインも(ギターの特別扱いはないが)特別な問題はなし。
出発ゲート周辺はかなりきれい。このあたりで何度か携帯で水溜さんや寺門さんに連絡し、電話が通じる。
(携帯の感度は悪くないが頑張っても電話が通じないときもあるのでそんなときは固定電話からかけるか待つ。なお自分はドコモのローミング。ここまでの国はすべてパケホーダイなのでまあ安心)

11:20発のアルゼンチン航空AR2524、一応機内エンターテインメントもある(アンデスなどのドキュメント番組が面白い)。
ひたすら平原を飛ぶ。1時間少々飛んでがらんとしたコルドバ空港に着陸。
荷物が表示の隣のレーンから出てくる。真っ先に出てきたギターを相方が回収したところ「あの男ギター弾くんだ」「きっとGANADORだろう」という会話が聞こえてくる。

到着後水溜夫婦とコスキン実行事務局の担当者・マルセロ氏の出迎えを受ける。荷物を水溜夫婦にお預けして自分たちはマルセロ氏とタクシーに乗る。
途中で不完全な英語とスペイン語で会話、自作の自己紹介など見てもらう。コスキンへ行く途中ではリゾート地やダム湖などが観光名所となっている模様。
マルセロ氏は途中で上長と電話して「1人は少しだけスペイン語(Castillano)が出来る」と報告している。
1時間余でコスキン市到着、宿の「POSADA DE PADRE PIO」に荷物を置かせてもらってから水溜さんの家まで送っていただき、香典をお渡しし位牌に挨拶してから遅めの昼食(パスタとご飯など)をご馳走になる。
自分たちの案内をお渡ししてから、寺門さんのお話を拝聴するなどしてからいったん宿に戻る。

宿はWIFIがあるようだが教わったパスワードをいくら入れても反応せず、読み替えてトライしてもダメ。苦闘していたところ「我々は3日泊まっているがダメ」というアドバイスを同宿の方から受けたので、諦める。
マネージャー室の隣、中庭に面した(なので窓を開けても大丈夫ではあった)部屋の電灯付き扇風機を思い切り回したらゴンゴン言って落ちそうなので弱める。結論として「外に行くか」という話になる。

なお宿の方々は「何か不自由はないか」と非常に気を遣ってくださり、殺風景なペンションレベルの設備の割にパンテーンのシャンプーや石鹸、清潔なフェイスタオルとバスタオルをつけてくださり申し訳ない感じではあるので「不自由」とか口が裂けてもいえない感じになる。
同宿者にはミュージシャンはいないもよう、一定のレベルの観光の方中心(ただしダンス系の方はいたことが後で発覚)。

ここまでで時間は17:00、市内の地図を見ながら20:00までに宿に戻ることにして外出する。

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