TAKUYA&YOSHIOのコスキン演奏に関する文章を紹介します
皆様こんにちは。
北海道・道東のケーナ奏者・ContaさんがMIXIでこのような評をTAKUYA&YOSHIOにしてくださいました。
過分な評価ではございますが、とても嬉しい文章ですのでご本人の許可を得て転載いたします。
…以下引用です。
今月のある週末、嬉しい遠路の友人達と酒を酌み交わした折、TAKUYA&YOSHIOの快挙についてしばし語った。日本代表が、あれほど観客を熱狂させるとは前代未聞ではなかろか?
それは、彼らの長年の努力と卓越した表現力、何より炸裂するパッションによるものであるが、選曲の妙もあると思う。あれを選ぶアルゼンチン音楽に対する造詣と深い愛情に感服するのである。
では、Solo le Pido a Dios (ただ神に願う)とは一体どんな曲だというのか? 覚書しておきましょう。
レオン・ヒエコが歌ったこの曲はアルゼンチンの人にとって格別な曲だろうと思う。彼は軍事独裁政権に迫害を受けてきたロックミュージシャンだ。
そもそも、この歌は70年代末チリとの国境紛争で開戦が危ぶまれた頃の作品で、反戦歌である。独裁の時代、検閲当局から厳重注意を受けたのは言うまでもなく、一時国外脱出している。
本来その役目を担っていたヌエバカンシオン達は、活動を厳しく制限されたり、命を守るため国外に逃れていた時代である。
小さな集会も開けない時代に、ロックはメッセージが無いということで、奇跡的に政権が許した集える娯楽となったのである。当然、ロックは若者の熱い支持を得ることになる。
(中略)なんたらかんたらで、80年代に入り、アルゼンチンの軍事独裁は終わろうとしていた。軍が切った最後のカードは、かのフォークランド諸島の軍事占拠である。これは国民のナショナリズムを大いに刺激し、独裁批判は霧消してイギリス憎しとなる。・・・なにやら昨今の日中韓が重なりますなぁ・・・。
今では考えられないが、この紛争で国威発揚の象徴となったのが、彼の曲「ただ神に願う」である。歌の内容とは反するが、「戦争に無関心な人にならないように」というコピーが軍に利用された。後に、彼は深い苦悩と共に数年の間活動休止する。(中略)そして、彼の復活を大きく後押ししたのは、ヌエバカンシオン達でありファンであったらしい。
かようにフォルクローレ(アルゼンチン音楽)は、時代に翻弄されながらも、常に大衆の暮らしと共にあったしこれからもあるのであろう。
僕にアルヘンティーノの心情は分からない。でも、そんな背景を知り、あれだけの熱狂を目の当たりにすると謙虚な気持ちになれる。
分からないからと無関心な人にならないよう、ただ己が心に願う。
ただ神様に願う[Solo le Pido a Dios]
死が迎えに来た時に
十分なことを成し遂げずに連れて行かれないように
苦痛に無関心な人にならないように
ただ神様に願う
不公平に無関心な人にならないように
ただ神様に願う
戦争は巨大な怪物で、人々の良心を踏み潰すものだ
戦争に無関心な人にならないように
ただ神様に願う
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参考文献など
懐かしき月間誌「中南米音楽」&現役「ラティーナ」
比嘉マルセーロ氏の講義「中南米の音楽Ⅱ―歌・踊り・祝宴を生きるひとびと」
ウイキペディアなどネット情報ミックス
※訂正事項があれば教えて下さい。
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