コスキン・エン・ハポンについてのささやかな発見など130929
皆様こんにちは。
9/26に渋谷で、アルゼンチンにてお世話になった方とお目にかかる機会があり、鳥竹で飲みました。
鳥竹は渋谷の焼き鳥店としてはかなりオーセンティックな店(煙で有名)で自分のイメージする焼き鳥店として安いとはいえませんが、特にレバーやハツは冠絶する旨さでした。
そこでの話として出たのが、今回オリンピックIOC総会実施の関連もあって、かなり日本からの文化発信活動に注力したそうです。
IOC総会のときも数百人の日系人などを動員してブエノス市内で太鼓のパレードをした一方、日本関連の美術展などもかなりしたそうです。
その方は、今年日本からの文化発信で印象深かったミュージシャンとして、ドス・オリエンタレスや、熊本マリさんの名前を挙げていらっしゃいました。
その結果「アルゼンチンの文化シーンを日本が侵略している」と新聞に書かれたとのことでした。
そんな今年の日本からの文化発信において、(100%ラッキーパンチではあったとはいえ)一番打者としてコスキン音楽祭でのTAKUYA&YOSHIOは切り込み隊長の役目を果たしたように思われますと過分のお言葉を頂戴し、五輪招致関係者に配ったという限定のピンバッチをいただきました。
…五輪開催に関してさまざまな見解があるのは認識していますが、招致活動自体はかなり多くの方の尽力があったのは明白な事実です。
現段階では開催は決まった話なので、今後は「より多くの人に有意義なイベント」にするべく考えていきたい、などと私は考えています。
ただくどいようですが、もちろんさまざまな立場があってしかるべきだとは思いますし、オリンピック招致うんぬんは、コスキンに行っているときに想像することすらなかったとは白状しておきます。
またYOSHIOは、日本代表に選出された際、以下のようないましめメールを頂戴しました。
(前略)
私自身は多くの他の日本人のフォルクローレファンと同様にYOSHIOさんの演奏を毎回楽しみに見ているファンの一人ですが、YOSHIOさんがアルゼンチンのコスキンの本舞台でどう受け止められるか心配している一人でもあります。彼らにとっての本舞台はある意味我々にとっての「国技館の土俵」のような神聖な場所であり、そこで自国の文化を愚弄されたと受け取られた場合、少なくとも今後の二国間のフォルクローレ音楽交流に関してはかなり大きなマイナスイメージを残すことになりかねないと考えています。私は少し考えすぎなのかもしれませんが……。
(中略)
長くなりましたが、YOISHIOさんにはお願いです。そうした生粋のアルゼンチン・フォルクロリスタ達の感情を損ねる演奏だけはしないよう注意をしていただきたいのです。もちろん、1万人超の会場にTV中継もあると思いますので、そのすべての人を満足させたり納得させたりすることなどは不可能と思いますが、彼らにとってはそこはアルゼンチン・フォルクローレ音楽の聖地であり、この音楽に敬意を表する場所であることを改めてご留意頂きたいと思います。
偉そうなことを言って申し訳ありません。お気を悪くされないことを祈っております。しかし、私たちにはできなかった「アルゼンチン人にずっと印象に残る名演」をできるのもYOSHIOさんしかいないと思っております。本当に応援しています。(後略)
…100%親切なアドバイスですが、コスキンまでいつどう行けばよいかも分からず、肉親が危篤だった状態でこのメールを受け、「やっぱ行っちゃいけないんだ」とえらい精神的に下がった記憶があります。
このメールを下さった方はおそらくご自身は南米音楽を正統にされているという自己認識をもたれている一方、我々は所詮正統でもなんでもない、と認識されていて、遺憾ながらYOSHIOの自己認識もまさしくそうであるという事実に直面させられました。
ただ今思えばその正統ではないという、安心感のない自己認識こそが、まあなんとか最後まで演奏できて、多くの方に聴いていただけたた秘訣でもあったのでしょう。
今回の審査会出演の方々がどのような自己認識かは失礼にもなりますのでこちらから申し上げることではございませんが、安心感を持って向かわれるには、コスキン音楽祭は巨大すぎるイベントかなとは愚考申し上げます(もちろんパマルカの皆様のように、出場経験などおありでこのようなことをとうにご存知の方もいらっしゃいます。大変に失礼なものいいを承知で申しています)。
さらにどのジャンルでも言えることかもしれませんが、プロでもアマでも、平均的な日本の演奏者は、細かい技術が高い割に、観客に「ねじこむ」力が技術水準からみて弱いという傾向はあるのかもしれません。
(日本の少なくともアコースティックシーンでは、「ねじこむ」力が技術より大幅にある場合、「へたくそなわりに存在感があって厚かましい」の一言で排撃されやすいため、活動する場所の確保のために技術を上げようとする傾向が顕著になるように思います。
もちろん、キャラも含めて「ねじこむ」力と技術が両方あるのが最高なのでしょうが、まじめな人ほど練習や学習を重ねて「技術」に特化した結果「ねじこむ」力を喪失するケースがあるように思われます。
そうすると「最強のサポートミュージシャン」が発生しやすいが、フロントマンは育たないという状況が起こりえます。
くどいようですが、両方あるのがベスト、ということであり、「ねじこむ」力しかないというのは「涙のカリスマ」系の話になってしまいます)
たぶんですが、南米の演奏シーンでは「ねじこむ」力は必要とされるのでないかと思います。
私が知っている限りでは、南米で一線で活動した、という人は技術もさることながら「ねじこむ」力をお持ちだったように思います。
ロックバンドですが、こちらのインタビューの最後2段落にYOSHIOは深くうなずいた次第です。
今回の審査会に出られる方々はこちらにあるように、複音ハーモニカの方以外は絹蔵や美術館に出演されますので、参加の皆様もチェックされてみるのはいかがでしょうか。
音楽演奏者にとって、無視よりも、「批判するつもり」でも聴いてもらえるほうがよいかと思われます。
(我々も演奏させていただきますので、批判上等でお聴きいただけると幸甚です)
…本日はカンタティのライブが妙典であったのですが満員御礼だったこともあり(次は1月だそうです)、昼は家向きの用事を足したあとデシジョン時代にお世話になったkazzmaさんのライブに行こうと思っています。宜しくお願い申し上げます。
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