【御礼】TAKUYA&YOSHIO SAM'S BARで演奏しました!+13/9/14-15の日記(宝塚月組公演評込)
【御礼】TAKUYA&YOSHIOは、横浜野毛SAM'S BARにて「ラテン音楽ナイト」の1バンドとして演奏させていただきました。ご来場くださいました皆様、お店の皆様、共演者の皆様に深く御礼申し上げます。
出演者としては、告知が不足してお店やイベント企画の際田様に貢献できなかったこと深くお詫び申し上げます。今後も一歩一歩邁進したいと思っております。
曲目は以下でした。
1、Inti Yacu
2、La Boliviana
3、Vasija de Barro
4、Len~o Seco
5、Maggot Brain
6、Solo le Pido a Dios
7、山から来た男
(otra)San Benito
曲としては5、あと5以降の盛り上げが高評価だったもようです。
4・5はロックな雰囲気のお店でどうしてもやりたかったナンバーで、4は、空気音の気合はよかったのですがそこまでの展開に課題を残しました。
コスキン本番までにがっつり仕上げたいと思っております。
共演は鈴木龍氏率いる前衛ユニット「umiusagi」、ベネズエラ音楽の「Cafe Negro」の皆様でした。前者の意外にも硬質な民族テイスト、後者のかっちりしたベネズエラテイストが印象深かったです。有難うございました。
TAKUYA&YOSHIOはこの2チームに比べると汗の量だけは勝っていたかと思いますが、年齢度外視の野獣(フォーヴィズム、とは申しませんが)系音楽ユニットとしてこれからも修練していこうと思っております。今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。
●9/14(土)
昼自宅で食事してから日吉の慶應ラテ研の夏ライブへ。藤原洋記念ホールが小規模オペラもこなせそうなホール。ここで生音とは豪胆だな、と思う。
前半だけしか聞けなかったが、ライブとして成立していたのは出演の皆様の修練の賜物だと思います。聞けてよかったし、最後まで聞きたかったです。(時間の都合)
皆様にもオススメします。
勝手な感想では、特に弦楽器に注目させられました。単音でもある程度聞こえているのは流石でしたが、本来音量的には単音より聞こえやすいはずのストロークのときの音が案外潰れて単音よりも聞こえにくくなるのが意外といえば意外でした。その中で3年生のチームのギターの方が、他の楽器との音圧の関係もあるでしょうが単音もストロークも聴かせていたのが印象に残りました。あとOBの方のケーナは、低音域でも一定の音圧で細かいところもきっちり吹いていて、現役の方の模範になる水準だろうな、と思いました。
(どうでもいいですが、自分はケーナを聴くときに、低音域でどの程度魅力があるか、音圧があるかを重視しています。もちろん自分の演奏のレベルを度外視して、の見解です)
前半で会場を辞して横浜経由で桜木町へ。駅そばのスタジオで50分ほど練習してから軽く腹ごしらえをしてSAM'S BARへ。
集客でお店に迷惑をおかけしたが終演後のビールがむやみに旨い。可能ならまた演奏できればと念じる。
京浜急行経由で帰宅。最近コンビニで「ガツンとみかん」が売り切れていて残念。
●9/15(日)
ぎりぎりの時間で宝塚月組「ルパン」「Fantasic Energy!」。
芝居のほうは、「ルパン 最後の恋」が元ネタだからかどうかしらないが、文庫本を持ち込んでいるような単身男性多し。
「国家組織」とかちらつかせたり、冒頭で集団群舞によるオープニングを執拗に持ってくるあたりは演出・正塚晴彦のクセだしステージがむやみに暗いが、今回は甘めではあるがかなりウェルメイド感あり。
コミックスについでに入っている短編のかなりできのよい作品、といった感じ。変なたとえだが大和和紀『はいからさんが通る』の最終巻に入っていた「杏奈とまつりばやし」レベルなので、大柄な宝塚らしさとかは置いておいて、観るべき作品。
龍真咲・愛希れいかの芝居も破綻なくOKだが(龍が自分を抑えてかっこよく見せる芝居ができるようになっていた。愛希も意志の強さを的確に出していた。ただし愛希のドレスは、特にラストはなんか違和感あり)、伝記作者役の北翔海莉の、自分の野心を脇に置いた芝居の絶妙さが枠組みをきっちり作ったことは明確な事実。お笑い役をしつつも人生を見せる芝居に徹したガニマールの星条海斗やフラヴィの憧花ゆりの、キレ気味のキャラで独自性を出した(時代考証的には×だが)トニー・カーベット役の沙央くらま、意外にも正統な受け系悪役をきっちりやっていたドナルド・ドースン役の凪七瑠海という芝居上での組全体の進歩というべき点も見られた。演出家が仕事をするとジェンヌの力量が増すという好例であった。
一方ショーは、演出・中村一徳の色彩感覚が疑われるオープニングをはじめとして、無駄に音圧の高いポップス系を垂れ流す中でオリジナリティやテーマのない場面が延々繰り出される水準。芝居での幸福感が減衰される。ダンスの振り付けの甘さ(フィジカルな事情があるのかもしれないが)もたいがいで、芝居と同じカンパニーがやっているとは思えない完成度の低さであった。今回は選曲のダメさなどの問題以前に、場面内での抑揚もなく(たとえばGITANOの場面などは、群舞が倒れこんでからスターが歌って再び踊り出すまでの抑揚をつけるだけでかなりいい場面になるはずが、漫然と花をばらまくと踊り出すという最低な展開に)、無駄なキャリアは有害でしかないことを認識させられた。中村一徳は「サラン・愛」のころのピュアさで仕事に臨んでほしい。
終了後「デリー」でカシミールカレーを汗にまみれながら食べ、出先へ。終了後帰宅しイカ刺しなどの食事。体重が減らず困惑。
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