14/1/26の日記(笹久保伸ライブ)+思い出トーク
☆3/1(土)RADICAL ANDES CONNECTIONライブ、TAKUYA&YOSHIOも出演。請う目撃!
●1/26(日)
早朝起床して散歩。帰宅後PAULとポンパドゥールのチーズパン食べ比べ。両方旨い。
仮眠してから出先へ。
最近船橋駅構内に出来た立ち食い蕎麦、開業初日のときはオペレーションがぼろぼろで10分以上待たされ味も天玉と麺のマッチングが×だったが、かけそばは麺がまあまあなのでかなりうまい。
コーヒーを飲みながら雑務を片付ける。
雑務を無理やり片付け、15時からのアトリエKENでの笹久保伸氏(El Solitario Historicoご出演あり)ライブへ行く。
アンデス系のギターソロ~イルマ・オスノ氏の歌2曲~青木大輔氏(El Solitario Historicoご出演あり)のパフォーマンス~コロ・コリートという1部は、かなりSTRICTな演奏。
青木氏の、図形楽譜を見て即興というのが一番オチがなく「平成のテロリスト」な演奏であったが、全体にビリビリ気味の音とともに力感があって(最後のほとんど2拍子で突っ込んでくるコロ・コリートなど特に)満足度が高かった。
笹久保氏はイルマ氏、青木氏という演者を猛獣使いする能力を見せ付ける。
笹久保氏特有の「キャッチーな現代音楽」を聴けなかったのは残念であったが、「最近はこういうスタイルにしています」とのことでした。
2部はKOJI ASANO氏とのトークの後演奏。トークで、笹久保氏のアート系に自閉しない人間力を見せ付ける。(図形楽譜についての説明資料を見ても、閉じこもり姿勢でなくアナウンスしようとする姿勢が濃厚。ちなみに自分としては、起点終点が明確な図形楽譜が社会学の動態分析っぽくてよかった)
KOJI ASANO氏の「アヤクーチョの雨」をサンプリングしたサウンドは、かなりの豪圧と旋律をちらつかせ続け理解は拒まない感じ、だが気持ちよくはしない志向が、この手の音楽にうといこちらでも納得できる姿勢。
ASANO氏の演奏を聴いて、笹久保氏がよく繰り出すギターのミュートベース音が宇宙的であることにふと気づく。
笹久保氏のプロデューサー的側面が濃厚に出たライブだが、全般にかなり率直な発信であり、刺激を受ける内容であった。
客席の人数が多くはなかったが、「我々は彼を見出した」という自意識の選ばれた文化人が集う系のいやらしい雰囲気があまりなかったのも救い。
(※YOSHIOのライブだと「我々は彼を告発する」という自意識の人が一定数いらっしゃるケースもあるのは、能力と人徳の差でしょう)
3000円だったが、料金告知に手違いがあったとかで、終わりの簡単な懇親会も無料となり、非常にCPのよいイベントであった。
失礼とは思ったが笹久保氏と青木氏に3/1のチラシをねじ込んで帰宅。
帰宅途中で東京餃子房で1皿とご飯、キャベツ。価格から考えれば美味だが、食事にしようと思うと3皿は必要か。
帰宅後アジフライなど食べる。
食事後会場で購入したアルバム「アヤクーチョの雨」を聴く。濃厚なペルーテイストを包丁でさばいて宇宙的にした感じで、音のソリッド感が出ていて(一部冗漫な時間もあるが)前作よりも自分にとって完成度高い。
ただし、笹久保氏のアルバムをまだ聞いたことがない人には、まず「ジョン・ダウランド・リターンズ」をステマのごとく推奨します。
自分が接した範囲での笹久保氏の表現世界のもっとも独自性の高い要素が詰まっているように感じられます。
(思い出トーク)
音楽の話ではなく、YOSHIOは1998~2000年ごろ岡山市に在住していましたがそのときの話です。
その時の生計を立てるための職場は岡山市番町という昔の城下町的な住宅地にあり(ちなみに住んでいたのは奉還町。歩いて通勤していました)、2階建て木造のもと学校でした。
仕事はきつかったのですが、締め切りなどでテンパる夕方に帰宅中の小学生のピッチの狂ったリコーダーが聞こえるなど、そこそこ脱力できる環境でした。
また夜中に資料室で「日本古典文学大系」など調べていたら妙に精神的にひんやりしたことを覚えています。
残業していたところ外の飲み屋から「そろそろ飲みに行こう」と電話が来て飲んだりしてました。
その中の1軒であった、職場から2,3分いった「大吉」で飲んでいて2回ほど食あたり的な感じになり、その対処のために徒歩2分の老人しかいない内科で打った点滴が年寄りくさかったり、庭でそうめん流し大会があって司会をさせられ、むりやりOPにナンバーガールの「Urban Guitar Sayonara」を流したり、そうめんが管の継ぎ目で詰まってしらたき化するのを眺めたり…、
ありていに言うと(思い出として美化しようにも)そんなに美しくも楽しくないですが、無秩序かつじたばたして感じで過ごしていました。
歩いて10分も行くとTOWER RECORDSとか一応あるのに、昭和に打ち捨てられたような職場であり町内ではありました。
本日そのころからの友人のメールで、防災上の基準を満たさないため、その建物が撤去されたとの知らせと写真を見ました。
私には政治的にも経済的にも文化的にも何の権限もないのでただ見送るのみですが、見られる景色はなるべく忘れないようにしたいし、可能なら人生の上で一度見た景色はもう1回でも見ておきたいな…とか思いました。
何があるかはわからないしどうすることも出来ないことが多いですが、忘れないこととじたばたすることは人間できるもんではないか、などと考えております。
以上取りとめもない駄文ですみません。
どこででも演奏はしたいのですが、岡山でもまた演奏できれば、とは思っています。
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