【追悼】長沼康光氏死去の報に接して
標記の件ですが、遅くなり恐縮です。
8/17に、川俣のコスキン・エン・ハポンを創始され、運営されていた長沼康光氏がお亡くなりになった、との報を頂戴しました。
こちらも。なかなか伺えなかったご出自について書いてある貴重な記事です。
ここ数年は老人施設にいらっしゃったとのことでお目にかかっていませんが、TAKUYA&YOSHIOにとって、そして私にとって、初めて川俣コスキンに参加して以来厳しくも温かい存在であり続けました。
温かい存在としての面は、初めて参加して舞台そでで雑用をしていたときにいきなり現地のプログラムを押し付けてきて「現地の紙はこういう匂いがするんだよね」といって去っていった、フレンドリーというかパンキッシュな面が最初の印象です。
一方厳しい面として述べれば、長沼さんをはじめとする方々が、例えば日本代表審査会において我々を否定し続けてくださったからこそ、年月をかけてよりフルパワーを出して向上し続けることができましたし、否定しても排除はしなかったからこそ、当時純然たるアマチュアだったのに、30過ぎても自己反復などに一切陥ることなく、表現の戦線にとどまり続け、そして結果として戦線を進めることができました。
ご来場されていた最後のほうで、「今年は日本代表はTAKUYA&YOSHIOでいいんじゃないか」とつぶやいていた、というのを聞き、皮肉な言い方ですが、長沼さんの老いと自分たちの成長を痛感いたしました。
またイベント運営者としては、参加者や運営状況の現実にアジャストしきれていない点もあったように(現在その修正がなされ続けています)感じていましたが、そもそも現実に適合するならば、川俣町で行われたマイナー音楽愛好家イベントがこのようなビッグイベントになり、世界規模で多くの演奏者を育てる、という展開にはなりますまい。
長沼さんに一番教えていただいたことは、反現実的であろうとも、自分のビジョンを貫くその姿勢だと思います。副会長であった神保さんには直接伝えられたものの、長沼さんには伝えられなかったのが残念ではありますが、以下の言葉をささげたいと思います。
「貴殿の興したイベントをきっかけに、とことんやり切ることをこれからも誓います。有難うございました!」
…ここ2年程、これまで考えてもいなかったシーンでの演奏が多く、民族音楽関係の皆様に不義理をしております。大変申し訳ないとは思っておりますが、長沼さんに教わったこの姿勢をもとに、やれるところまでやりきるようやっておりますので、どうかご寛容いただけますと幸甚でございます。
まずは今年のコスキン・エン・ハポン、一段の決意をもって頑張りたいと思います。
皆様何卒ご指導ご鞭撻いただけますと幸甚でございます。
2016/8/21 TAKUYA&YOSHIO YOSHIO 拝
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