どうでもよい記事(20180126、ある人物の訃報を聞いて思い出したこと)
私は一度だけ「朝まで生テレビ」の観覧に行ったことがあります。
そしてこれがおそらく日本の地上波での現在唯一の出演機会でした。
(アルゼンチンでは2013年にコスキン音楽祭に出た際、演奏を地上波中継いただきましたが)
確か麻原彰晃が生出演していた回で、宗教系の人が観覧希望が多すぎることが想定されたための、草食系サークルからの仕込み要員でした。(三国志研究会)
この時には「幸福の科学」対「オウム真理教」という感じだったのですが、宗教系の人特有のかみ合わない話とどうでもいい宗教系および非宗教系問わず狭量な熱を帯びた発信が延々となされる中、狭いスタジオの狭い観覧席で暑くて眠くて仕方がなかったです。
トイレに行ったら、栗本慎一郎氏とこの間亡くなった西部邁氏が連れションしていて「さっきのあなたの発信だけど」と後者が前者を詰めているのが聞こえました。
2回目だかの休憩の前に、田丸美寿々氏と目があったところ「君、質問しましょう」と言われました。
CM明けだかに手を挙げるよう言われ渋々質問した内容が、「なんで宗教の人はそんなに自信満々なのですか」という、非常に言葉が足りないものでしたが、宗教系でない観覧者のほぼ本音ではあったかと思います(ここは浅羽通明氏の地下新聞的な同人誌でも指摘がされていました)。
これに対して幸福の科学サイドは答えず、麻原彰晃が「それは自分たちで独自の修行をした結果です」と、まあ宗教系としては無難な回答をしていました。
そこで西部氏に「宗教の人に自信がある理由を聞くのは、近代の悪しき懐疑主義だ」と決めつけられて、私が納得していない表情をした様子が写っただけで、反論する時間もないまま、次の展開となりました。
…西部氏の言うことは妥当でしたが、彼には私も含めた鰯の群れのような、生き抜くために動く大衆が知性を抹殺するような動きに対応することも難しかろうな、と思ったものの、それを言語化する機会はありませんでした。
後日談としては、ゼミの先輩に「西部にやり込められてたな」と叱責されたり、見知らぬ人の間で「あいつも宗教系っぽかったな」という讒言があったりという一方で、「本音を言ってくれてありがとう」という賞賛もあったなはずです。(なんせ昔の話)
ちなみに謝礼は弁当とポロシャツで交通費も出ませんでした。
西部邁氏の業績などについては、鰯の群れからも脱落しそうな鰯としては論評することは難しいですが、反時代的な思想というものを抱くのも大変だなとだけは、死亡の際のニュースなどに接した際の感想として申し上げます。
以上取り留めもない感想でしたが、記憶の外部バックアップとして書かせていただきました。
(追伸)このときテレビに出た私は、当時今より30キロ以上少なかったのに、実物より太く見えたようです。
田丸美寿々氏の脚が想定よりはるかに細く、性的な意味抜きでびっくりした記憶があります。
私としては、もし演奏者としてテレビに出る機会があったら拒まないでしょうが、今の体型だとふなっしーと勝負!というレベルなので、なかなか難しそうです。
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