どうでもよい雑感20180421
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●4/21(土)
本日も出先へ。朝はエクセルシオールの珈琲のみ。Lサイズを週4回飲み干すイメージで。
昼は久々に渋谷駅東口方面へ。妙にきれいな駅出入り口が新設され歩道橋が使えなくなっていてびびるが、入った「天下寿司 渋谷東口店」が4/29で閉店と聞きびっくり。
私は都内の回転寿司の評価が辛めだが、渋谷のこの店はCP悪くなく、いい意味でダサい昔風の回転寿司店だったのでたまには行っていたためショック。ここのネタではハワイ巻やトロタク巻といった巻物やコハダなどはCPよかった。
この日も年寄りやバンド関係風(自分と知り合いではなさそうな感じのライン)、近くの従業員などで込んでいたため、売上どうのこうのよりは渋谷東口再開発の流れかと目される。
そういえば同じく東口にある「山下書店」も4/26閉店とか。
私は渋谷や下北沢はあまり好きではないが、昔からの設定(渋谷は「闇市上がり」、下北沢は「住宅地にたまたまできている商店街」)に忠実なエリアはあまり嫌いではない。
渋谷だと桜丘~代官山へ続くゾーンや東口かいわい、下北沢だと井の頭線の明大前よりの出口の周辺など。
ただ渋谷の再開発はもの凄いことになっているので、ますます好きではない街になるだろうな、というどうでもよい感想。
帰宅後自宅で野菜肉炒め。
…さらにどうでもよい雑感だが、「スポンサー」とかいうものについて考える機会があったので少々。
クラウドファウンディングはとある行為のための限定的なミッションなので分けて考えるとして、自分の活動についてスポンサーがいれば確かに「恒常的に何事かに専念できる」状態を作れるので、活動の継続性や時間をかける量が増える→質の向上、多様なプロジェクトの並行という点で非常に好都合なのは間違いないです。
ただ、自分の話で考えれば、自分の器量以上の金額を引っ張りだした後で、スポンサーに「自分をサポートしてくれたおかげでこんなメリットをあなたに提供できました」とプレゼンないし釈明することの恐怖が先に立ってしまうのも事実であります。(ここらへんは村西とおるの伝記の読みすぎ、などの悪影響もありますが…。文化活動にいちいちプレゼンや釈明を求めない、ないし「社会全体への貢献のみ求める」タイプの太っ腹の旦那衆がいればOK牧場ですが、日本の現在の社会経済システムではなかなか難しい話では、という小賢しい認識も自分にはあります)
スポーツだと「オリンピックでメダル」などわかりやすい成果(しかも世間の人が納得しやすい「この成果があれば確かに自分にもメリットがある」という見えやすい連動)をプレゼンできますが、例えば音楽活動などでそれが出せるか…というのは、メジャーレーベル契約=社会の多くの人が知っている、という体制の崩壊後、相当なむずかしさがあるのは否めないと思います。
それよりは可能な範囲で自力(といっても周囲の理解やサポートがなければ、自力を発揮することすらできない)でやって、あるとき気がついたら一定の成果を挙げていた、という姿勢のほうがストレスが少ないように考えるのは、きっと自分の器量や覚悟が少ないからでしょう。
それに一定年齢生きてきたせいで「自分の器量にあった金銭」の限界が身に染みているということもあるのかもしれません。
自分としては、スポンサーを探す方、広く求める方の胆力と覚悟の凄さに感じ入りつつ、自分はそこまで(音楽演奏で人前に立つ、とかとは違う形で)社会に対してせり出すことはなかなかできないな、という思いでございます。
(ファンクラブ、とかはまた違う話だと思われますが…ここらへんを考えていくと、基本アンダーグラウンドな運営で「ファンクラブ」と「スポンサー」の切り分けと汀があった宝塚ファンの世界はすごいな、などと再認識しています)
もっといえば、百万が一にもたとえば音楽などの表現活動が自分の生活の中心になることがあったとしても、そこに文化人的な華やかさはなく、社会の中で生き残るためにどぶさらいしながら文化のかけらに触れられればラッキーという現状の持続の形態の変化でしかないということも、容易に想像できます。
今でも多くのシーンで、しがない相当の年齢の音楽活動家である自分にはもったいないぐらいの理解と支援をいただいています。
今後とも、せめて面白いどぶさらい(さっきから「サライ」と誤変換するのはなぜでしょう)で居続けようとの決意と、どぶさらいの仲間、およびどぶさらいを眺めてくださる方(「見張塔からずっと」でもOK)がいたとしたらその仲間や観察者の信認を裏切りたくないな、という気持ちで活動を続けていきたいと思っています。
以上あくまで自分の話以外は明確に一般論です。
ライブやサロンで直接話せる方には、よりさまざま話せるかと思います(中年男子らしいいやらしいPRで恐縮です)が、特定の個人を批判する意思は、この件に関しては常にまったくありません。
凄い人は凄いので凄い道を行く(王道を行く、とかいうと淫夢語録っぽいでしょうか)ことを賞賛しつつも、すごくない末端のケーナ奏者もどきの小生にはそれなりの獣道があるからそこを進むしかない、という話でございます。
今後とも、宜しくお願い申し上げます。
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