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2018.07.06

【記憶の森】1990年代のオウム真理教について記憶しているいくつかの私的事柄

本日オウム真理教の麻原彰晃や関連人物が処刑されたという一報を聴き、記憶のバックアップに。
自分のどうでもいい記憶を書くだけですが、まず被害を受けた関係各位に改めてお見舞いとお詫びの気持ちを伝えたいと思います。

1、麻原彰晃と私が会話した(?)テレビ上のできごとはこちらを参照ください。

この番組を受けて信者が増えたという批判を後日聴きました(自分の質問を無視した幸福の科学に比べ、やや知的に生意気な若者が聴きやすそうなトーンで話した麻原の魅力が目立った)が、自分としては詫びても仕方がないですが事件の被害者などに詫びるしかない気分です。

2、私は1990年代の数年間、巣鴨のとげぬき地蔵にある編集プロダクションで働いていた(当時よく古奈屋本店に通っていた。周辺は市場があった関係で下品だが旨い中華や、すっぽんの三浦屋などそこそこなグルメ的スポットがありました。ヤツメウナギの店に行くのは贅沢な年数回の楽しみでした)のですが、そのプロダクションの元社員でオウム真理教に入信して出家した人が2人いました。(私が入社前に2人とも辞めていました)

伝聞の話ですが、共に教材編集者だったのですが、1人はマンションを財産として寄進したところ教団出版物の編集をしていて、1人は寄進する者がなかったため上九一色村の施設造成の穴掘りをしていたとのこと。

地下鉄サリン事件の当日朝に職場に「オウム真理教への弾圧が始まっています」というFAXが届き何事かと思ってテレビを見たら事件が起こっていました。

社長が「最近『会いませんか』と誘われて、南青山だかの本部に来るように言われて怖いから断ったところだったんだ」という話をし出してびっくりした記憶があります。

事件のおそらく1、2か月後に巣鴨署だかの公安刑事的な人が来て質問して回っていました。アジトと勘違いされたようです。名刺には電話番号と名前しかなく、去り際に「みんな整形してんじゃないの」と嫌みを言っていました。

ちなみにこの編集プロダクションで働いていた同僚には、アダムスキー型円盤のコピーを大量に取ったり旧飯野町の某施設に掲示されていた写真を撮影したりしていた女性がいましたが、私の退職後ヘール・ボップ彗星が来るので退職したそうです。
他の社員はもとより、職場としては非常にまっとうなところでした(ここを辞めたのは自分の判断としては悪いほう=後悔はしないものの)が、職場とは無関係にこれらのエピソードは自分も含め二線級の知的な若年層の自我と社会の一員としての判断力の弱さを感じさせる契機にはなりました。

……以上がささやかな20年前レベルの記憶です。何か差しさわりがある場合は削除しますが、読んだ方の判断材料のひとつにでもなれば幸甚です。記憶のバックアップにお付き合いいただき申し訳ございません!

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