追記しました【単なるつぶやき】そして10年経ちました
私のような立場の者が、お悔みやら「忘れないようにしましょう」とか声をかける資格もないとは思っています。
…残念ながらこの世にいられなくなった人や物事を、可能な範囲で忘れないようにしていきたいと思うだけです。
自分の人生にとってひそかに決定的な出来事でしたが、それも被害に遭われた方にとって片腹痛いたわごとでしかないでしょう。
ともかく謹んで、春まだ浅い寒さと自然の圧倒的な暴力、現代日本社会の限界とか可能性とかを安易な情緒や解決策にひたらずヒリヒリと思い出しながら、今日は過ごしたいと思います。
…もちろん福島はじめ東北の復興を祈り、ささやかでも何かしたい気持ちは常に持っていますが、それも権力者でもない自分がアピールしても蟷螂の一斧でしかないでしょう。
ただ当時も今もある、「そこに仲間たりえる人たちが住んでいるのに、あるときは取り上げ、あるときは無視する」という姿勢への強烈な違和感と、生ぬるい表現ですが連帯感だけは、今後も忘れないようにしていきたいと思っております。
これだけだとくそポエムなので、2011年に自分が何をしていたかの一部を、ブログのリンク先を示すことで出しておきます。
気が向いたらどうぞ。
私が10年前の3/11、および3/12に何をしていたかの記事です。
→ http://yoshioquena.cocolog-nifty.com/yoshio/2011/03/312decision311-.html
ある意味私が一番「人のために役立った」ときの記事です。
多くの方が元記事の転載自体はしていたのですが、「コスキン参加者としての現場」からの露悪的要素もある本音のコメントが効果があったようです。
→ http://yoshioquena.cocolog-nifty.com/yoshio/2011/03/post-4393.html
4月ごろに川俣に関して書いた記事のうちのひとつです。
→ http://yoshioquena.cocolog-nifty.com/yoshio/2011/04/110424-0be7.html
最大の批判を浴びた記事のひとつです。
川俣を訪問した、だけの内容ですが、「売名行為」などの有難い誹謗中傷メールを2日で30通程度いただきました。
→ http://yoshioquena.cocolog-nifty.com/yoshio/2011/05/430-51-dd5e.html
この年に開催されることになったコスキン・エン・ハポンへの参加の意気込みを語った記事です。
→ http://yoshioquena.cocolog-nifty.com/yoshio/2011/08/2011110823-53f7.html
福島県川俣町の広報誌に、通常「町の出演者」「専業のゲスト出演者」などが紹介されるところ、TAKUYA&YOSHIOがぶち抜かれたときの町広報です。
→ https://www.town.kawamata.lg.jp/data/kouhoushi/pdf/201109-06.pdf
なおそれについての感想はこちら→ http://yoshioquena.cocolog-nifty.com/yoshio/2011/09/2011-b522.html (文中リンクは切れています)
コスキン・エン・ハポン代表審査会で「当確」とか言われていたのに落ちたときの記事。(翌年選ばれました)
→ http://yoshioquena.cocolog-nifty.com/yoshio/2011/10/2011-41eb.html
10月末に福島市大波地区に除染ボランティアに行ったときの記事です。
→ http://yoshioquena.cocolog-nifty.com/yoshio/2011/11/1029-113el-soli.html
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